DSC-WX10が壊れそう

 どうも2ヶ月前に行った野外調査の時点で既に動きが悪くなっていたような気がするのだが、先週行った調査中に動かなくなってしまった。電源を入れるとレンズが迫り出してくるのだが、それが完全に出きらず途中で止まってしまい、画面に「電源を入れなおしてください」というメッセージが出るのである。最初のうち、つまり2ヶ月前の時点では、言われた通りに電源を入れ直してやると正常に起動し、問題なく使えていたのでそれでよしとしていたのであるが、正常に迫り出さないのが繰り返すようになり、終いには全くダメになった。しかも一旦正常に起動しても、光学ズームがx4.8より先に進まず (DSC-WX10はx7.0まで)、同じく「電源を入れなおしてください」というメッセージが出て動作が止まるという現象も発生していた。

 結局調査中はこのデジカメが使えなくなったのでiPod touch 5thで代用することにしたのだが、家に帰ってからDSC-WX10を分解して掃除することにした。2ヶ月前の調査中は台風が接近しており林内の作業では泥だらけの手でデジカメを操作することも多く、可動部である繰り出しレンズの隙間にゴミが入ったと思われたためだ。案の定、カバーを開けてみると泥が乾燥して細かい砂になったやつが至る所に入り込んでいたので綿棒で丁寧に取り除いた。レンズの繰り出し部分自体は分解が困難なので、隙間に潤滑油を流し込んで電源のon/offを繰り返し、ゴミを出させるという作戦を取った。本来はシリコンスプレーのようなものを使う方が良いのだろうが、手元に無かったので……。結果、100%とは行かないが、正常な起動が再び出きるようになり、最低限の使用に耐えると言える状態になった。ズームに関しても、オイルを入れてon/offしゴミを拭き取る、の操作を繰り返すうちに、x4.8からx4.9、x5.0、x5.2、x5.4と段々にリミットが解除され、最終的にはx7.0までいけるようになった。

 とは言え、この状態のDSC-WX10をこれ以上野外調査で使うのは厳しい気もする。最低でも予備のデジカメを用意しておく必要があるので、しばらくは研究室の備品を使おうかと思うが、やはり私にとってデジカメは愛用する品なので、個人で持っていたい気もする。今回DSC-WX10が壊れかけて得た教訓としては、「レンズが迫り出すタイプは野外調査に向かない」ということなので、今売っている製品だとDSC-TX30ということになる (私は基本的にSony)のだが、これはまだ発売されて半年弱なのでまだ値が高い。これが型落ちになったタイミングで上手い具合に金が手元にあれば、買おうかなと考えている。

最近観た映画

 熊本天草6泊7日の旅で合間合間にPS vitaで観た映画。

・「イエロー・ハンカチーフ」The Yellow Handkerchief (2008)
 以前観た邦画「幸福の黄色いハンカチ」(1977)のアメリカ版リメイクである。と言っても「幸福の黄色いハンカチ」の原作はアメリカ人のコラムらしい (未読)ので、何がどう日本風あるはアメリカ風にアレンジされたのか、不明である。本作を観てまず感じたのは、「回想シーンが分かりにくい」ということ。勿論どこからどこまでが回想シーンなのか判別はできるのだが、切り替え前のシーンがちょっと曖昧というか、急に切り替わって「あれ?」と感じることが多かったのだ。ストーリーの流れは「幸福の黄色いハンカチ」と基本的に同じだが、登場人物のキャラクターは大分違う。あと「幸福の黄色いハンカチ」が北海道の美しい風景を舞台にしているのと比べると、本作の舞台は見劣りするように思われた。

・「コクリコ坂から」 (2011)
 よく分からない。とりあえず、私としては金を払って観る映画ではないと思った。冒頭の調理風景など目を見張るような描写もあるのだが、ストーリーが安っぽく流れが悪い (というか、おそらく原作から抽出しすぎている)ので、どうしても高い評価はできない。別にアニメ映画として製作自体を否定すべきものではないが、ジブリという大看板を引っさげて大々的に宣伝するほどのものでもない。あとどうでもいいが、作中に出てきた部室棟「カルチェラタン」の名前で、昔読んだ佐藤賢一著の「カルチェ・ラタン」を思い出した。おそらく私が最初に「カルチェラタン」という言葉と出会ったのは、はやみねかおる著の「虹北恭助の冒険」に登場する仏蘭西料理店「カルチェラタン」である。これを読んだ後、高校の図書室で小説「カルチェ・ラタン」を見つけ手に取ったのであるが、この小説は一言で面白いとか興味深いとか言い表せるものではなく、不思議な魅力のある小説である。どちらかと言えば読みにくい部類に入るし、結構恐ろしいところもあるので、気軽に他人に薦められる作品ではないのだが、今回思い出したので今度古本屋で見つけたら再読しようかと思った。

・「ミラーを拭く男」 (2004)
 Wikipediaではあらすじ説明の中で「家族の崩壊と再生の物語」と書かれているのだが、どちらかと言えば崩壊がメインであるように感じた。本作では事故を起こす前の様子がほぼ描かれていないので、事故前後での変化は不明なのであるが、主人公の皆川勤が非常に無口なのが怖かった。交通事故を起こしてしまったという出来事をきっかけに、仕事を捨て、家族を捨て、明確な目標や理念もなく、半ば無意味な活動に精を出すようになってしまう男の狂気を描いた作品である。色々考えさせられるという意味では面白いが、これを観た人がどう感じるのかという点まで考え出すと、あまり高い評価をするのもどうかという感じになる。

Who?

 今から書くことはフィクションだと思って読んで下さい。

 先日、仲良くなりたいと思っていた素敵な女性と街中ですれ違って挨拶しようとしたのであるが、彼女は同年代の男と行動を共にしているようであった。彼氏がいるという話は聞いたことが無いし、どちらかと言えばいない素振りを見せていた彼女であるが、容姿端麗で性格も悪くなく、以前より周囲の男性から人気があるのは確かである。一緒にいる男性とどういう関係なのかは不明だが、別に私がとやかく言える立場でもない。その女性と私は同じ組織に所属しているため週に何度かは顔を合わせる関係だが、もしかすると彼女にとって今私と会うのは少々気不味いのかも知れない。とはいえ、向こうも私に気づいたので無視するというのも不自然であるから軽く会釈してやり過ごそうとしたのであるが、すれ違いざま彼女と一緒に歩いていた男が、「誰?」と彼女に話しかけ、彼女が「○○で一緒の××君 (=私)」と返答するのが肩越しに聞こえてしまった。

 ……これは私にとって実に衝撃的な出来事であった。この件で私を動揺させた主な要因は、好意を抱いていた女性に彼氏がいることを知ったという点ではなく、それよりも相手の男性が発した「誰?」という問いかけと、それに答える彼女のやり取りである。

「こんな典型的場面に自分が遭遇してしまうなんて!」

漫画や映画ではよく観るものであるが、まさか自分が経験するとは思っていなかったのだ。

 さて、この出来事があってから一週間以上が経ち、その間私は毎日のようにこの件について色々と考えていたのであるが、幾つか自分の中で結論を出したことがある。その一つは、

「見ず知らずの相手について、『誰?』と相手が聞こえるように問うのは失礼である」

ということである。相手の男性 (後に彼女の交際相手であるという裏が取れる)からしてみれば、自分の彼女に会釈してきたこの男 (私)が何者なのか気になるというのは普通であるし、別に猜疑心というわけでなくとも交際相手の周りの人間関係について把握しておきたいと思うのは間違ったことではない (ちなみに、交際期間は長くてもまだ数ヶ月であるらしいという情報を得る)。だから私が誰なのかを彼女に尋ねることは全く問題ないのであるが、その場で、私に聞こえる状況で、「誰?」という言葉で尋ねるというのは、失礼なことではないかと思うのだ。私は決してその場で彼女に失礼な態度をとったわけではないし、彼女の方も私と会ったことに対して不快感を示したようには見えなかった。会釈しただけなのである。実際、その日私は彼女に頼まれて彼女の作業を手伝っていたのであるから、彼女と私の関係性が悪いものではないと客観的にも考えられる。だから、私はその彼氏に対してなんら失礼な態度をとられる筋合いは無いのである。もし私が逆の立場だったら、その場では黙っていて”後で”彼女に「さっき挨拶していたのは誰?」と聞くだろうし、もしその場で知る必要があると判断したなら (例えば、彼女が誰かと話始めて自分もその場にいるという状況)、「初めまして、××といいます (申します)」と自分から名乗って相手も名乗るという流れを作るようにするだろう。少なくとも、年上か年下かも分からない相手 (私は若く見られがちだし、実際その彼氏より少し年下であるらしいことが後に判明するが)に対して「誰?」という言葉は不躾であると私は思った。

 まぁ小さなことではあるし、どちらかと言えばやっかみの気持ちが強いのかもしれないが、この文章を読んだあなたには、知り合いの知り合いが一体誰なのか気になったとしても、その場で聞こええるように自分の知り合いに尋ねるなどということはせずに、後で確かめるか直接尋ねるようにお勧めしたい。

む、無念……

 かなり前の話だが、一眼レフのレンズ (SAL16105)に付けていたプロテクターが割れた。「デジタルキング スーパースリムプロテクター 62mm」というプロテクターである。私は野外での撮影が多いため、基本的にプロテクターは付けっぱなしであるのだが、これが知らぬ間に割れていた。割れたと言ってもガラスにヒビが入っていただけなので、レンズ本体に影響は無い。

 ここで気になるのは、「果たしてプロテクターは、自身の役目を果たした故に割れたのか」ということである。1000円ちょいのプロテクターが4万円ほどのレンズを傷から守ったとなれば、割れたとしてもあっぱれ、ということになる。が、これが知らぬ間に割れていた、という点がひっかかるのだ。もう少し詳しく説明すると、プロテクターが割れているのを発見したのは、旅行中や撮影の合間というより、長いこと家に置いていた後なのである。カメラを使っていない間は当然、レンズにカバーが取り付けられているので、外部から固いものが直接プロテクターのガラスに衝突して割れたとは考えにくい。つまり、プロテクターがレンズを守って割れたというよりは、ただ何らかの拍子にプロテクターだけが割れたと考えるのが自然なのである。もしそうだとすると、このプロテクターは自身の役目を果たした訳ではなく、犬死ということになる。

 とは言っても、このプロテクターは値段が安いので、先日また同じものを購入した。

更新情報

 Mizukama OSS Laboに記事を追加。
OpenCLでImageMagickはどれほど高速化されるか

 加えて、Art Creatureの方に台湾で撮った写真を追加。
Art Creature