少し金が入ったので、iPadなる機器を買ってみた。今現在、オンラインのApple Storeでは、iPad mini 4と共にiPad mini 2が販売されていて、iPad mini 4は学生・教職員価格で16GB/WiFiが40,800円(税別)から、iPad mini 2は16GB/WiFiが29,800円(税別)から、となっている。ストレージが16GBでは少し心もとない気がしたので、iPad mini 2の32GB/WiFiを購入したが、値段は34,800円(税別)で、iPad mini 4の16GB/WiFiより安い。
iPad mini 2とiPad mini 4の違いとしては、まずチップがA7とA8で違う。iPad mini 4に搭載のApple A8はA7と比較して、CPUが1.3倍、グラフィックが1.6倍とのことであるが、私がこれまで使っていたのは、Apple A5のチップを搭載したiPod touch 5th (iOSは最新)であり、A5からA6、A7と進化する段階でそれぞれ2倍ずつ高速化したとAppleは主張しているので、少なめに見積もってもA7はA5比で3倍くらいの性能があると考えられる。iPad mini (初期型を除く)はディスプレイの画素数がiPod touch 5thに比べ約4.3倍あるので、全画面で3Dのレンダリングを行うゲーム等では、最大4倍の性能上昇が打ち消される可能性もあるが、私はiPod touchをゲーム機としては使っていないし、今回購入したiPad mini 2についてもそのつもりはないので、CPUが3倍程度高速化した分、快適にアプリが動作することを期待し、更にその1.3倍、あるいはグラフィックで1.6倍となるA8を使うために、1万円以上余分の金を払うのは止めようと結論した。実際、A7のiPad mini 2を使ってみると、A5の遅さに辟易していた私にとっては、びっくり仰天するほどの処理速度であった。人間は一旦慣れてしまうと、それを基準に判断するようになるので、iPad mini 4やiPad Proを一旦使ってしまったなら、A7チップは遅いという結論に至るのであろうが、私にとってはこれで十分なのである。
次に、iPad mini 2とiPad mini 4の違いとして、本体の厚さと重さがある。iPad mini 2は4に比べ、厚さは約1.23倍、重さは約1.11倍ある。iPad mini 4ではチップの性能が上がった分、同じ処理をさせるのに消費する電力が減り、その分バッテリーを減らしたのだろう。Wikipediaによれば、iPad mini 2のバッテリーは、23.8ワット時、iPad mini 4は19.32ワット時である。私は製品を選ぶ際、バッテリーの持ちをかなり気にする方であるが、バッテリー駆動時間がどちらの機種も10時間となっていることから、iPad mini 2はこの点で劣っているわけではないと判断した (バッテリーの経年劣化は最新機種の方が優れている可能性はある)。しかしながら、私が最初にiPad mini 2を箱から出して持った時の感想は、「意外と重い」だったので、少しでも軽いiPad mini 4には、値段分の価値が確かにあるんじゃなかろうかと思う。
その他の違いとしては、iPad mini 4に付いているTouch ID (指紋センサー)や気圧センサーがあるが、私にとってはあまり価値を感じない。1つだけ明らかに劣っていると感じるのはカメラの性能で、iSightカメラの5M Pixelと8M Pixelの違いもさることながら、iPad mini 4では120fpsのスローモーションビデオに対応していて、2では対応していないのは残念である。
今回、私は最新機種ではないiPad mini 2を購入したわけだが、本体の値段が安いという利点以外に、アクセサリである保護ケースが安く購入できたというのも大きい。前述したように、iPad mini 4と2では、本体の厚さが異なるので、私が好んで使うハードタイプのケースでは使い回しが出来ない。その結果、古い機種のアクセサリが在庫処分で安く手に入るのである。私はELECOMのTB-A13SPV2BKを購入した。この製品は販売当初、2000円前後で販売されていたようだが、私は300円で購入できた。
私は小学校高学年から中学生にかけて、江戸川乱歩の作品を大分読んでいるので、おそらく「怪人二十面相」も読んだはずであるが、著作権切れに伴い青空文庫で公開されたので、改めて読んでみた。
本作のテキスト入力、校正、及び公開に関わった皆様へ、感謝を申し上げたい。
この作品は初出が1936年ということで、かなり古い言葉も多く使われているし、今の時代に子供向けとしては相応しくないとされる表現も多々あるが、読んで面白いことは間違いない。以下に私が読んで分からなかった言葉を挙げる。
・高手小手
もうこうなっては、いかな凶賊も抵抗のしようがありません。みるみるうちに高手小手にいましめられてしまいました。
→文脈から察するに、「亀甲縛り」のような縛られ方の名称だと思ったのだが、それはその通りで、後ろ手に縛るだけでなく、首にも縄をかけた厳重な縛り方だそうだ。画像検索すると、女性が縛られた図画ばかり表示されるので注意。
・おこもさん
「なんだい、おこもさんか。おらあ、ほどこしをするような金持じゃあねえよ。」
→文脈で分かるには分かるが、調べないと確信は持てなかった。乞食のことである。
・れいれいしく
というのは、その日の東京毎日新聞の社会面に、二十面相からの投書が、れいれいしく掲載されたことでした。
漢字は「麗麗しく」。子供向けの作品なので、漢字で記していないところが逆に意味を掴みにくい。そこまで古い表現ではなさそうだが、「派手に」「目立つように」という意味らしい。
青空文庫では江戸川乱歩の作品が今後も90作以上公開予定のようで、楽しみにしたい。「心理試験」「D坂の殺人事件」「人間椅子」は既に公開済みで私も読んだが、どれも面白い。
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Posted 21 4月 2016
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Tagged: レビュー, 小説
・「うさかめ」
OP曲に中毒性がある。田中きなこ、こいつはヤバい奴だ。
・「ジョーカー・ゲーム」
面白い。自分もある程度そうだと勝手に思っているが、頭の良い人間は、世間一般の人と考えていることが全然違う。
・「Re:ゼロから始める異世界生活」
この主人公は頭が弱い!
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Posted 21 4月 2016
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Tagged: アニメ, レビュー, 音楽
・「だがしかし」
面白かったが、普段食べているもの以外、新たな駄菓子を食べようという気は起こらなかった。サヤ師は普通の女の子という感じで好き。
・「おしえて!ギャル子ちゃん」
アニメとして良く出来ていた。下らない内容だけじゃなく、ストーリー性もあったし、キャラクターの性格が良かった。私の高校は進学校だったので頭の悪そうなギャルというのはほぼいなかったが、私が「縦ロール族」と呼ぶ女子の一団がいて、比較的長身かつ(一般的に)美人な茶髪縦ロールが群をなして廊下を歩いていると、圧迫感があって怖かった。それ以来、縦ロールの女性に対しては一定の距離を置くようになっているが、本作のギャル子は縦ロールではないので、心安らかに観ることができた。
・「闇芝居 三期」
やっぱり不条理だ。だから悪いかというとそういうことでもないのだが、私はあまり怖さを感じられない。
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Posted 17 4月 2016
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Tagged: アニメ, レビュー
私のいる学部だと、卒論・修論発表会での1人当たりの持ち時間は15分で、私がこれまで口頭発表した3つの学会大会も15分であった。
この15分は、12分の発表時間と3分の質疑応答時間で構成されている。時間を知らせる鈴は10分、12分、15分の3回に分けて鳴らされることが多い。
休憩時間を挟まずに10人以上が連続して発表を行うこともあるので、この15分の持ち時間を厳守しないと後ろがどんどんずれて予定が狂うことになる。
卒論・修論発表の場合は、同じ専攻の学生が1つの会場で発表を行うのでまだよいが、複数の会場で平行して口頭発表が行われる学会大会の様な場だと、聴衆はプログラムを見ながら会場を移動し発表を聴くので、発表時間がずれると問題が生じる。
そのため、1人当たりの持ち時間15分というルールは概ね守られており、時間を過ぎているのに新たな質問を許す、というような光景はあまり見られない。
しかしながら、持ち時間15分の中の、発表時間12分という決まりは、卒論・修論発表会においても学会大会においても、あまりきちんと守られていない。つまり、12分を過ぎても演者が話し続け、質問時間が短縮されるか全く無い、という状況が頻繁に生じているのである。
卒論・修論発表会は、学士・修士の学位認定に関わる重要なイベントであるが、その評価基準には発表内容は勿論、質疑応答での受け答えも含まれている。にも関わらず、質疑応答を十分に行わず研究発表を終える学生が少なからずいるのである (私が4年ほど観察したところでは、半数以上が12分の発表時間を超過し、少なくとも10人に1人は、1つの質問に答えるのに十分な時間も残さない)。
時間を超過する発表者は、研究内容があまりに多量、あるいは複雑すぎるために、決まった時間内に発表できないのであろうか。多くの場合、そうとは思えない。一般的な発表スライドは、
背景 → 目的 → 材料と方法 → 結果 → 考察 → まとめ → (謝辞)
のような構成になっているが、発表時間が押している場合、「まとめ」や「謝辞」を省略する (表示するだけにして読み上げない)等の方法で、30秒から1分程度の時間を容易に調整できる (この程度の調整で決まった時間に収められないとなると、発表内容と発表練習に問題がある)。にも関わらず、12分の鈴を聴いても、「まとめ」や「謝辞」をゆっくり読み上げ続ける発表者の何と多いことか! これは故意に時間を超過しているとしか思えないのである。
しかも悪いことに、発表内容にツッコミどころの多い発表者ほど、時間を超過する傾向があるように感じられる。つまり、研究に何らかの問題点があって、質問された場合に適当な答えをすることが難しそうな発表者が、発表時間を延長することで質問時間を短縮あるいは無くそうとしているのではないか、と疑ってしまうのだ。15分の持ち時間は司会者によって半ば強制的に守られる (時間を過ぎた質問を受け付けない、中断させる等)が、12分の発表時間を過ぎても何も言われない、という慣習の不備を突いた、卑怯な行為である。
理屈としては、どうしても発表者に質問したければ発表会の後でできるし、そもそも学士や修士の認定で揉めることは殆ど無く、指導教官がOKを出して、卒業・修士論文を提出し、発表会に出さえすれば、普通は卒業認定が行われるので、発表会で質疑応答がきちんと行われるかどうかは大した問題でない、と考える人も多いだろう。しかしそんなことを言っていては、発表のレベルは下がる一方であるし、きちんと研究を行い発表の準備を行った学生が正しい評価を受けられない。いい加減な研究をしていい加減な発表をした学生は、公の場 (といっても学内だが)できちんと辱めを受けて然るべきであると私は思う。
ちなみに、同じ学部の同じ学科で発表会を行うと言っても、聴衆である教員や研究員、それに発表者より学年が上の院生などが、全ての発表に対して内容を理解し問題点の有無を判断できるかというと、そんなことは全く無く、専門外の内容については、ちんぷんかんぷんという場合も少なくない。だからこそ、専門分野が近い人 (発表者の指導教官でない)が、その場で発表者に質問をし、それに発表者がどう答えるのかを見ることが、その発表の良し悪しを判断する上で必要なのである。
私はこれまで、卒論、修論、それに学会発表を5回やっているが、時間を大きく超過した記憶は無く、毎回2つか3つの質問に受け答えしている。なお、一番最近の学会発表では、手元の時計で11分58秒という絶妙な時間で発表を終えたのであるが、私より前の発表者が、スライドの投影で手間取って時間がずれ込んでいたため、持ち時間自体を削られて質問時間が短縮された。これは私の責任ではない。
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Posted 13 4月 2016
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Tagged: 大学