以前、「メロスは激怒した | Mizukama Blog」という記事で、天草の農家直売所でポンカンを買った話を書いた。先日また天草を訪れて、同じ直売所に寄ったので、その時のことを書く。
私が5月の半ばに行った時、柑橘の収穫期は終わりを迎えていて、代わりにイチゴが売られていた。私が住んでいる京都のスーパーで売られているイチゴは、1パックだいたい400円から500円程度であり、当然ながら私は自分で購入したことがない。ところが天草の農家直売所で売られていたイチゴは、なんと1パックが250円であった。これはよいと思い、私はそれを購入した。前回、私にポンカンを売ってくれたのと同じおばちゃんが今回も居て、数あるイチゴのパックを丁寧に調べ、状態の良い物を選んで売ってくれた。このおばちゃんは、本当にいい人である。
食べてみると、至って普通の美味しいイチゴである。これが250円で買えるというのは素晴らしい、と私は思った。
次の日の朝、私は昼食を買おうと思い、苓北町のデイリーヤマザキに行った。おにぎり2つをカゴに入れてレジへ向かおうとした私は、そこでとんでもないものを発見した。1パック180円のイチゴが売られていたのである。250円でも安いと思ったのに、180円とは驚きである。私は迷わず180円のイチゴをカゴに入れてレジへ向かった。ところが、レジの近くには別のダンボールが地面に置かれており、その中にもイチゴが入っていて、なんと値段は130円!既に180円のイチゴをカゴに入れていたので、130円の方は購入しなかったが、あまりの安さに度肝を抜かれた。
180円で買ったイチゴを食べてみると、若干傷んだ箇所のある個体が多く、また粒の大きさも小さめで、前述の250円イチゴに比べると質は劣っていた。とはいえ、食べられるし美味しいのである。
さらに次の日、同じデイリーヤマザキに行くと、130円や180円のイチゴは無く、1パック200円のイチゴが売られていた。これも粒は小さめで若干傷んだ箇所があるが、美味しかった。
結局、5泊6日の日程で、私はイチゴを4パック食べた。こんな贅沢、京都にいたら絶対にできないことである。デイリーヤマザキで売られていたイチゴは、規格外の品で捨てるよりマシくらいの感じで売られていたものだろうと思うが、それにしても安すぎである。生産者の方に感謝したい。
¶
Posted 19 5月 2016
§
‡
°
Tagged: レビュー, 食品
・「ヘヴィーオブジェクト」
放送時は3話までしか追っておらず放置していたが、連休中にまとめて観た。原作者が同じ「とある」と比べると、主人公が好印象である。上条さんは一刻も早く死んで欲しいと思うが、クウェンサーは冷静で賢いので応援できる。ヒロインの中では「おほほ」も良いが、お姫様も安定して魅力がある。
・「城下町のダンデライオン」
1話も観ずに放置していた。敬遠していた理由としては、突飛な設定で登場人物が多い、という公式サイトからの事前情報があった。しかし観終えて思うのは、この作品は決して選挙の結果に焦点を当てているわけでは無く、むしろその過程でそれぞれのキャラクターがどのように考え行動し成長するかを描いているので、設定の突飛さは問題にならないし、人数の多さも個性の演出に必要であった、ということだ。このアニメには、悪辣な人間や心のねじけた人間がほとんど登場しないので、観ていて気分が良い。なかなかの良作であった。主題歌は中々に中毒性がある。
¶
Posted 16 5月 2016
§
‡
°
Tagged: アニメ, レビュー
・「迷家‐マヨヒガ‐」
この記事を書いている段階では既に2話以降が放送されているので、私が1話しか観ていない証拠は無いのであるが、まだ2話を観てないと宣言してから書きたい。まず1話を観て疑問というか引っかかるのは、バスの運転手どうなるねん、ってこと。何とか村の近くでコイツら降ろした後、そのまま帰ってしまったら、村の場所がバレるじゃん。ってことは、この運転手もすんなり元の生活には戻れなさそう、と考えられる。次に気になるのも村の秘匿性に関してだが、地下や洞穴ならともかく、木を切って開けた場所 (村)を作ると衛星画像で簡単に場所が特定されてしまいそう。スマートフォンが登場するのだから、衛星画像が入手できない時代設定ではないだろう。となると、衛星画像の提供元に介入できる程の権力をもった何かにより隠匿されている、ということだろうか。というか、高速道路をバスで移動したり (Nシステムに引っかかる)、スマートフォン (GPS、及び通信先の基地局で位置がバレる)の持ち込みを許している段階で、蒸発しようという意気込みが感じられないのだが……。あるいは、この村に関わっていると分かった段階で、公的権力の介入により捜索が行われなくなる、というような設定も考えられる。
・「影鰐-KAGEWANI-承」
前シリーズが面白かったので、今回は配信についていこうと思う。
・「ふらいんぐうぃっち」
これ、素晴らしい作品だ。x1.7倍速で観ているのに、田舎に流れるゆっくりとした時間が感じられる。ストーリーもテンプレ的ではないし、何より過剰な演出が無い。雰囲気はだいぶ違うが、「くまみこ」と共に東北の田舎を舞台にした作品が熱い! 難点としては、主題歌がいまいち。何度も聴けばしっくり来るのかも知れない。
・「三者三葉」
「未確認で進行形」と同じ原作者。あんま内容なさそう。
・「ハイスクール・フリート」 (1話については「はいふり」と表記されていたが……)
真面目な作りであると思う。単に女の子をいっぱい出せばいいと考えているとしか思えないアニメが多数存在する中で、本作はよく作りこまれたものだと思うし、これからもそうであって欲しいと思う。私はこれまで、古い戦争映画などを何作品も観ているので、「ようそろ」という掛け声 (?)は何度か耳にしていたが、どういう意味なのかは分からなかった。「ようそろ – Wikipedia」を読めば分かる。
・「あんハピ♪」
暇つぶしアニメ。単に女の子をいっぱい出せばいいと考えているとしか思えない。
¶
Posted 07 5月 2016
§
‡
°
Tagged: アニメ, レビュー
私はこれまで、一週間程度の野外調査に出る際、HP Pavilion dm1というノートPCを持って行くことが多かった。メールを受信するだけならiPod touchで十分であるし、野外調査中にデータ入力や文書作成をするわけでもないのだが、デジカメの写真データをバックアップするために、ザックにノートPCを入れていたのである。このHP Pavilion dm1は本体の重量が約1.5Kgと比較的軽量であるが、ACアダプタも含め嵩張るのが難点であった。
先日購入したiPad mini 2には、野外調査におけるノートPCの役割を代わりに果たさせ、荷物を少なくする目的もあったので、それに合わせて純正アクセサリである、Lightning – SDカードカメラリーダーを購入した。お値段は税込みで3780円である。このアクセサリはその名の通り、Lightning経由でSDカードの写真データを読み込むことができる。
私が野外調査中に撮影する写真データは、多くてもだいたい10GB程度なので、このアクセサリがあれば、iPad mini 2 (32GB)で十分にバックアップが可能である。私はまだSDカードでデータが消えた経験は無いのであるが、SDカードは水に濡れるなどの理由でデータの読み込みが不可になることがあると言われているので、屋外での作業が多い調査では写真データのバックアップが取れると安心である。
ちなみに、名前にも「リーダー」とあり、iPadやiPhone本体からSDカードの方に写真を移す機能が無いため、このアクセサリはデータの読み込みしかできない、と説明しているサイトがあるが、実際は削除もできる。Mac版のiPhotoと同様で、SDカードから読み込んだ後は、オリジナルのデータを削除するか尋ねられるし、SDカード内の写真をiPad上で選択して削除することもできる。
加えて、Appleの製品ページの互換性リストにも対応デバイスとして挙げられていないが、私のiPod touch 5th (iOS 9.3.1)では、このLightning – SDカードカメラリーダーを利用しての写真の読み込みが可能であった。
伊集院光さんのラジオで読まれたネタに、「賢者の贈り物」という小説が登場したのだが、私はそれを読んだことがなかったので、ネタの面白さを十分理解できていない気がした。そこで、「賢者の贈り物」についてネットで調べ、あらすじだけでも知ろうと思った。すると、この作品はO. Henry 作の短編小説で、青空文庫で訳が読めることが分かった。青空文庫で公開されている日本語訳の翻訳者は、IT技術者にはよく知られた、結城浩である (図書カード:賢者の贈り物)。
「賢者の贈り物」について調べる過程で、私は「Project Sugita Genpaku」というサイトの存在を知った。ここで進められている「プロジェクト杉田玄白」は、日本語以外で書かれた文章を翻訳して公開するプロジェクトらしい。「賢者の贈り物」もこの「プロジェクト杉田玄白」の正式参加作品として紹介されている。私はこのサイトで紹介されている幾つかの翻訳文を読んでみたが、その中に「ちびくろさんぼ」 (原題: The Story of Little Black Sambo)があるのを見つけ、懐かしく思って読んでみた。
日本語版の「ちびくろサンボ」(表記は版により異なる)は様々な出版社から出ていたらしいが、私は父方の祖父の家にあった岩波書店の「ちびくろ・さんぼ」を読んだことがあった (祖父は読書家であるが、中でも岩波書店の本を多く持っている)。私の両親は父方の祖父とは異なり、あまり書籍を購入して溜め込むことをしないので、私が幼少期に読んだ絵本は多くが図書館で借りたものであり、そのため何度も繰り返して読むということをしなかった。一方で、年に3回行くのが通例であった父方の祖父の家には、いつも同じ絵本があるわけで、その1つであった岩波版「ちびくろ・さんぼ」は私の記憶にしっかり残っているのである。
私はこれまで全く知らなかったのであるが、岩波書店は1988年に、これは私の生まれる1年前であるが、この「ちびくろ・さんぼ」を絶版にしている。その理由として、著作権上の問題があった可能性も指摘されているが、本作の内容に黒人に対する差別が含まれるという趣旨の抗議があったらしい (参照: ちびくろサンボ – Wikipedia #一斉絶版問題)。「Project Sugita Genpaku」のサイトには、「ウェブで読める、ちびくろさんぼ関連の意見」というページも用意されている (ただし多くがリンク切れ)。
ある本が差別的な内容を含むと考えて抗議をすることは自由であるし、抗議を受けて出版社が絶版にするのも自由であるが、以前読んだ本を読み返せない (読み返すのが難しい)というのは悲しいことである。また、公的な資金により購入された本が、図書館や学級文庫などから取り除かれたとすると (「ちびくろサンボ」では焚書もあったらしい)、それは国民の権利・利益を損なっていないか、よく考える必要があるのではないかと思う。
私は「ちびくろサンボ」の内容が差別的だとは思わないが、差別的かどうかという議論よりも、差別的な内容を含む (あるいは含むと一部の人が考える)作品をどう扱うかという議論に興味がある。
まず前提として、作品から受ける影響というのは人により様々である。人種差別に関する議論をある程度知っている大人の私が「ちびくろサンボ」を読むのと、知識や理解力の限られた子供が読むのとでは、全く異なる。次に、少なくとも親は、年少の子供が読む本 (映像や音声でも同じ)について、それを選別する権利があると私は考える。親には子供を教育する責任があるので、教育の一環として子供が読む本を制限することは必要である。加えて、表現の自由は公共の利益に反しない範囲で保障されるべきである。
以上の私の考えから結論を述べると、先にも書いたように、抗議や絶版は自由であるが、既に出版された本の廃棄はやり過ぎであり、例えば子供向けの図書館であれば、書架には置かないが注文すれば読めるようにする、等の対策で十分ではないだろうか。親は、自分の子供に特定の思想を含む本を読ませたくないのであれば、自分がきちんと精査して制限すれば良いのである。読みたいと思う人の権利を損なうことまでする必要はない。本の存在が社会全体に悪影響を及ぼすと考えるのであれば、本を読んだ人が抱くと考える差別意識を覆すような知識・考えを広める活動をする方が有意義である。
¶
Posted 05 5月 2016
§
‡
°
Tagged: レビュー, 小説