メロスは激怒した

 先日、天草に行った時の話。熊本市内から天草へ車で向かう途中、いつも休憩に使うコンビニがある。そのコンビニは駐車場が広く車が停めやすい。その駐車場と一続きになっている土地に、「生産者直売」と書かれた幟が立っていて、果物を売っていた。これまで私は5月から9月の間にしか天草を訪れたことがなく、柑橘類の収穫期ではなかったため、土産として買うのは加工品ばかりであったのだが、今回は1月で収穫期まっただ中である。旅行中に果物そのものを食べるのも良かろうと思い、その直売所へ寄ってみることにした。

 店番をしていたのは、おばちゃん1人で、店には主にポンカンが並べられていた。今回買うのは旅行中に食べる分であるからして、10個程ネットに入ったものが適当であると判断、価格は400円であった。もうこの値段を見た段階で、私はそのポンカンを1袋買おうと決めた。私は果物の相場に明るいわけではないが、それほど高いとは思わなかったし、これより良い条件の品が売っている店を他に知っているわけでもない。だったら、いろいろ悩んだりすることなくスパッと買ってしまおう、と威勢のいいことを考えたのである。

 ところが店のおばちゃんは、私がもう「これを下さい」と言っているにも関わらず、試食用のポンカンを食べるようしつこく勧めてきた。仕方ないので食べてみると、これが甘い。少なくとも私が予想していたよりはだいぶ甘かった。こんな時、素直な人は、「これだけ甘いポンカンがこの値段なら良い買い物だ」と思うのであろうが、私は心が汚れているので、「これはあれか、試食用のポンカンだけが甘くて、実際買ってみるとそうでもない、というパターンか」と、考えてしまった。

 これだから、私は試食をせずに買いたかったのである。

 試食をしなければ、買ったポンカンが美味しくなくても、諦めがつく。甘ければ儲けものだ。しかし、試食したものは甘かったのに、買ったものが甘くない、という最悪のパターンだと、ひどく悔しい思いをすることになるだろう。上手いこと騙して買わせてやったとほくそ笑むおばちゃんの顔を想像したら、夜も眠れまい。

 とはいえ、試食用のポンカンが甘かったからといって、今さら購入を止めるというのはそれこそ変である。「いやぁ、これ甘いですね」などと何食わぬ顔で言いながら、試食をする前から購入を決めていた袋入りのポンカンを購入した。おばちゃんはサービスだと言って1個余分にポンカンをくれた。

 それから3日間の旅程中、私は毎日2~3個のポンカンを食べたのだが、全ての個体が甘かった。どれも甘くて瑞々しくて爽やかな、素晴らしい品質のポンカンであったのだ。

 ポンカンが残り半分になった頃、私は自分を恥じるようになった。なぜ、理由もなく直売所のおばちゃんを疑ってしまったのであろうかと。おばちゃんがポンカンを1個サービスしてくれた時でさえ、私はそれが、甘くないポンカンを騙して売るおばちゃんの罪悪感から出たものではないか、などと悪意のある予想を立てたのだ。私は人を信じる事が出来ぬ人間であった。

 あらぬ疑いをかけてしまった直売所のおばちゃんに償うため、私は天草から戻る際には同じ直売所へ寄り、今度はポンカンを箱買いしようと決めた。なんであれば、自宅用と、実家用と、大学の研究室に計3箱購入しても良い。それくらいしても罰は当たらないはずだ。

 しかし残念なことに、私が帰路に着く日は、九州に大寒波が訪れた日であった。前を通った時に確認すると、直売所は閉まっていた。次回、天草に行く際は、必ずやこの直売所で何かしら購入しようと心に決めた。

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