最終話を観て_2016夏 その1

観終えてから時間が経ってしまったので若干忘れ気味。

・「Rewrite」
主題歌をデータで購入した。全体的に質が高く、楽しめる作品であった。神戸小鳥が好き。

・「この美術部には問題がある!」
それほど面白いわけではないが、テンポ良く進むので楽に観れた。EDはなかなか印象的で良いが、購入はしていない。

・「はんだくん」
下らんが、観るのは楽だった。

・「ばなにゃ」
なぜか観てしまった。

・「Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ドライ!!」
ストーリーがどうでもよくなるくらい、アサシンイリヤが可愛過ぎる。OPがかっこいいし、EDも良い。

ヒラマサ旨い

知り合いから、釣ってきたという天然のヒラマサを譲り受けたが、それが非常に旨かったという話。

もらったのは約1.6kgとお手頃なサイズのヒラマサ1尾だったのであるが、半身だけでスーパーで売ってる小さいパック3つか4つ分位の刺身が取れた。これを1度の食事で食べてしまおうというだけでも豪勢な話であるが、食べてみるとまぁこれが旨い。こんな旨い魚は久しぶりに食べたというか、普通なら年に1度も食べられない、というレベルの旨さであった。

次に、切り身を取って残った尻尾以外のアラを全て鍋にいれ、酒・醤油・味噌で味をつけてアラ汁にした。先日、同じ人からマダイをもらった際は、酒と塩だけで潮汁にしたが、ヒラマサは味噌が合うという記述を見つけたので、適当な混合味噌を入れてみた。これもまた中々に旨い。

ヒラマサは高級魚として知られているが、こんなに旨いんじゃもし店で買ったら幾らになるのかと考えて、もらった1.6kgの個体なら5,000円程度の売値ではないか、と見当を付けた。それからネットで調べてみると、私の予想に比較的近い値段で販売しているところ (壱岐一本釣ヒラマサ | ブリやウニの通販店玄界灘壱岐島 七里ヶ曽根市場)もあれば、5kg程度の個体が8,700円 (有限会社 徳丸 ~産直便~)と、予想より安めのところもあった。ちなみに近所のスーパーでは長崎産ヒラマサ1尾を1,200円で売っていたが、恐らく1kgも無い小型の個体であった。魚には種類によって食味が最も良くなるサイズ・時期があるので、重量と値段は比例しないのであるが、とりあえず私が食べた感想としては、ヒラマサの1.6kg個体には、5,000円程度の売値がついてもおかしくない価値があると思ったのである。もちろん私は貧乏人なので、5,000円で売られていても普段は買えないが、客に出すならたまに購入してもいいかなと思える。

最近食べたもの

・「和の白くま」 (丸永製菓株式会社)
2016/9/12に販売開始されたらしいが、近所のスーパーにて期間限定 88円(税抜)で売られていたので、「抹茶」「きなこ」「苺」の3種を全て買って食べてみた。私は「きなこ」が一番美味しいと思った。希望小売価格が160円(税抜)なので、他のカップアイスに比べ若干高いが、「きなこ」に関してはその分の価値があると思った。

・「アルフォートミニチョコレート 北海道小豆」 (ブルボン)
私が高校生の時、同じクラスの男子で、毎日のようにアルフォートを1箱持ってきて食べる人がいて、皆から「アルさん」と呼ばれていた。私もアルフォートは好きでたまに食べるが、やはりノーマルタイプが一番美味しい。小豆味は微妙だった。

・「生乳と卵でつくったなめらかプリン」 (メイトー)
あまりの美味しさに、3連パックを一度に全部食べてしまった。素晴らしい出来のデザートである。近所のスーパーで売っているときと売っていないときがあり、買おうと思って売り場に行って無かったときのがっかり感が激しい。

文章力について

文章がヤバイ人っているじゃないですか。最近、割とフォーマルな文章をやり取りした人が結構なヤバさだったので、改めて意味の分かる文章を書くということについて考えてみたんですが、これはテクニックどうこう言うよりも、自分で文章の見直しをしているか (推敲してるか)と、他人に文章を直してもらう機会があったか (添削を受けたか)、という2点が重要になってくるのではなかろうか、と私は思うのです。このBlogは誰の添削も受けず、私が勢いのままキーボードを叩いて生成しているので、まったくもって模範的でない文章ばかりだとは思います。例えばこの記事におけるここまでの文章を見ても、一文が長すぎるとか、主語と述語の位置が離れすぎているとか、指摘しようと思えば幾らでもできると思います。しかし、意味が分からない文章では無いと思うんです。

先ほど挙げた、「一文が長すぎる」とか「主語と述語の位置が離れている」というのは、文章力の指南書には大体載ってる悪い例なんですが、世の中には「そもそも主語がない」とか「接続詞が正しく文を接続できていない」といった、もっと低レベルなところで理解不能な文章を書く人が数多くいます。分かりにくいのではなく、本当に意味が分からない文章を書く人が一定数いるというのは、質問掲示板とかネットニュースを見れば分かると思います。私はとある国立大学を卒業していますが、同じ大学に通っていた人の中にも、意味不明な文章を書く人はいたので、単純に高校までの勉強が出来れば文章もちゃんと書けるというわけではなさそうです。ちなみに、冒頭で述べた結構ヤバイ文章を書く人も、有名な私大をちゃんと卒業している人です。

それで学校教育における文章力の向上について、これまで自分が受けてきた教育を思い返してみると、小学校から高校までの期間で、授業として日本語文章の添削をちゃんと受けた記憶というのがあまり無いんです。小中学校の頃は、作文を頻繁に書かされていましたが、先生が文章中の良い箇所に波線と丸をつけ、分かりにくい箇所にはクエスチョンマークがつけられて返却される、というようなことはあっても、その返却された作文を再度直して提出するということはほぼ無く、言わば「書きっぱなし」で終わっていた気がするのです。これでは文章力の向上はあまり望めません。ただし、授業という扱いでない場面で添削を受ける機会はありました。例えば小学校高学年のときは、担任の教員と交換ノート形式で文章をやり取りする制度があったので、日記のような事実の記述から世の中で起きていることに対する自分の考えまで、色々なことを書いて提出していました。それに対し教員は、分かりにくい部分について次回提出分で説明するよう求めてくるので、書き直しを含む添削に近い指導を受けていたことになります。また高校のときは、私は新聞委員会で編集長を務めていたので、自分の文章は顧問の国語教員に添削されていましたし、他人が書いた文書を読んで (顧問が添削する前段階で)修正を求めるというようなこともしていたので、少なくとも文章の良し悪しについて考える機会は多くありました。

家庭では、確か小学生の時だったと思うんですが、私が学校で書いた作文を読んだ父が怒りだして、ある程度まともな文章が書けるようになるまで毎日、日記を書いて提出させられていた時期がありました。この時は父が読んで、父が意味不明だと判断したら書き直させられていたので、これも添削を受けていたということになるでしょう。父の勉強の教え方には理不尽なところも数多くありましたが (というか、理不尽だったことばかり記憶に残る)、今となってはその理不尽さを含んだ熱意もありがたかったなぁと思います。

次に推敲について考えてみると、私は今でも推敲が足りないと指導教官から怒られることが度々あるのですが、自分の書いた文章を全く見直さないということは、基本的にありません。駄文を垂れ流しているだけのこのBlogの記事も、一応何度か読みなおしてから公開し、公開した後もたまに読み返して修正を加えることがあります。自分の書いた文章を見直すときは、内容によって読みなおす時の気持ちを切り替えるのが重要だと私は思っています。自分の主観を強く押し出したいときは、ある程度文体が乱れていても、流れが悪くなければ修正はしません。一文がかなり長くなっても許容します。それは、私の中の考えのステップを反映していて、それを読み取ってもらいたいと思っているからです。一方、客観的な内容にしたいと思って書いているものであれば、読んだ人に誤解が生じることの無いよう、自分の中の勝手な前提や省略をなるべく排除し、丁寧な文章になるよう気をつけています。

文章がヤバイと自覚している人、あるいはヤバイと他人から言われた人は、とりあえず身近な人に自分の書いた文章を読んでもらって、感想を求める謙虚さを持つ必要があるのではないでしょうか。添削してもらう回数を重ねれば、自分で推敲し修正できる範囲がだんだんと広がっていくはずです。さらに上達を目指すなら、新聞でも小説でも実用書でも、それなりに文章力があると思われる人達の書いた文章を読んで、その文章の良い点、悪い点を見つけられるようにする訓練が役立つと思います。

昔の皆さんありがとう

「宇宙のステルヴィア」全26話を観終えた。2003年に放送されたアニメで画面も4:3のアスペクト比であるが、グラフィックや音楽の出来が良く、何よりストーリーが非常に面白い。

何がどう面白いのか説明するのは難しいのだが、1つ挙げるなら「テンプレな展開や演出が少ない」というのがある。テンプレはテンプレで分かりやすくて良いと思う場合もあるのだが、型にハマったものばかり観ていると、自らの思考も幅が制限されてしまい、ひいては偏見や差別につながってしまうように思う。

現実世界では敵味方の区別なんてはっきりしないし、同じような境遇に置かれていても人によって考えていることは全然違ったりする。そういうことを思い起こさせてくれる作品は面白い。

本作の主人公、片瀬志麻は、至って普通の環境で育ってきたと思われるが、感情の面倒な奴である。もし私の身近にいて深く関わることになったら、きっと私は戸惑うだろう。でも、それが人間というものだと思うから、それで構わないのだ。

ごちゃごちゃと感想を書いてしまったが、とりあえず「宇宙のステルヴィア」は面白いし、色々と考えさせらえる。昔の皆さんありがとう。