技術と意識

私は現在、自動車を保有しておらず、年に数回レンタカーを借りて運転する程度であるが、年上の人達と会話していると、誰々は運転が上手い、とか、あの人の運転は怖い、とかいう話になることがある。大人であれば、運転免許を持っているか、そして運転スキルはどうか、ということが仕事でも家庭でも個人への評価を左右する要素になってくることが多い。運転が上手いと人から言われるのは嬉しいことだが、運転が下手だとか同乗するのが怖いとか言われると、言われた本人のプライドを痛く傷つけることになる。

これに関して最近私は思うのだが、運転スキルの評価に対して、「上手い」あるいは「下手」という言葉は、あまり適切でない場面が多い。多くの人 (同乗者や、同じ道路を走っている車の運転者、歩行者など)が求めている運転スキルというのは、交通規則を守り安全に目的地へたどり着くことを大前提として、なおかつ同乗者が快適で他の車、歩行者に迷惑を掛けない運転をすること、であると思われる。ところが、所謂「運転が怖い」人の中には、自分の思い通りに車を動かす能力は十分に備えていても、交通ルールを遵守するという意識が無かったり、同乗者や他車に対する配慮がまるで無かったりする人がいる。こういう人は、車両感覚があるのでそう簡単には車をぶつけないし、比較的速い速度で運転ができるので、運転が「上手い」か「下手」かで言えば、「上手い」と言えなくもない。

(例1)
私が1度だけ助手席に乗ったAさんは、運転中にスマートフォンの地図アプリで経路を確認する人であった。それも信号待ちをしている時ではなく、車を走らせている時にである。私が「危ないんじゃないか」と言っても、「大丈夫」と答えて、スマートフォンを弄るのを止めようとしない。一時停止は当然しないし、一通も無視していた。あと、急加速させる傾向にある。私はその後、Aさんが運転する車には乗らないことに決めた。ところが、後から聞いてみると、5年以上ほぼ毎日車に乗っていて、一度も事故を起こしたことは無いらしい。運転が怖いが上手いと言えば上手い人、の典型である。

(例2)
私が何回か助手席に乗っているBさんは、スピードをあまり出さないし、怖い思いをしたことは無いのだが、信号待ちをするときに、先頭だと必ずといっていいほど停止線を超えて車を止める。不思議に思って何故かと尋ねたら、「少し前に出といた方が、見通しが良いから」と答えた。なぜ、信号の停止線がその位置に引かれているのか、その理由を無視しているし、ついでに道路交通法も無視している。自分の思い通りに運転することを優先してしまっている。Bさんもやはり事故を起こしたことは無いようだ。

運転が怖いと言われている人の中には、単純に状況判断が遅い人やハンドルやペダルの操作が未熟である人もいるが、逆に、車を動かす技術自体は十分でも、交通規則を守るとか同乗者や他の車・歩行者に不快な思いをさせないという意識が欠如している人もいる。技術の問題であれば訓練によってある程度まで改善できるし、本人もその必要性を自覚しやすいが、交通のルールやマナーを守るというのは意識の問題であって、現時点でそれを守っていない人というのは、恐らく自分自身で気づいて守るようになる、ということはあまり期待できず、他人から指摘されるとか警察の取り締まりを受けるとか、そういうきっかけがあって改善する人もいるかな、ぐらいの感じである。こういう人には、運転が下手な人、という評価を下すより、交通ルールを守ろうとしない人、という評価を下すほうが正しい。

最後に思い出話を1つ。大学の後輩達と旅行に行った時のことであるが、私は助手席に座っていて、運転は後輩の男子がしていた。少し細い道に入ったあたりで、速度を30km/hぐらいに落として運転しだしたので、到着予定時刻より遅れていたこともあり、「せめて制限速度の40km/hくらいは出したら?」と私が言ったのだが、運転していた後輩は「暗くて雨も降ってますし、慣れない道なので慎重に行きます」と答えた。私も特に焦っていたわけではなく、軽い気持ちで言っただけだったので、「分かった」と言い、彼は目的地に着くまでちゃんと運転してくれた。その旅行中には、どうしても急ぐ場面があり、その時は私が運転して (といっても流れに乗っていた程度だが)間に合わせたのだが、その後、後部座席に座っていた後輩の女子 (*注:可愛い)と話したら、後輩男子が慎重な運転をしていたことに好印象を持ったようである。スポーティーな運転をすることが必ずしもモテに繋がらないといういい例である。

Post a Comment

Your email is never published nor shared.