宮崎の話_その3 (深山幽谷)

 ハイキングなどから帰ってきて「自然を満喫した」と言う人がいるが、私にとって自然を満喫するということは、ただ山の中を通り抜けたり、景色を眺めて写真を撮ったりすることではない。自然と一体化したような感覚に陥る状態こそ、満喫するという言葉に相応しい体験であると考える。そもそも、人間が自然に入ると大抵の動物は逃げたり隠れたりしてしまう。植物や土石は逃げることができないから、そこにありつづけるだけであり、別に人間を歓迎してくれているなどということはない。山に入ると鳥の鳴き声が聞こえることもあるが、実はそれが警戒音であることもある。

 さて、これは9月に行った際の話である。山の中で作業をしていると時折、近くに大型動物の気配を感じることがある。大型動物というのは、シカやイノシシはもちろん、タヌキやアナグマ、それにキジ程度の鳥も含んでいる。大抵は風で落ちた枝葉が音を立てているだけなのであるが、場合によっては連続的に、何かが林床を歩いているような音が聞こえることもある。そういう時、耳をそば立てて音のした方向を確認することもあるが、毎回やっていては調査が進まないので、あまり気にしないようにしていた。

 そして時刻は17時前、林内がそろそろ暗くなり始めてきた頃であったが、これまで時折感知していたものよりずっと近い位置でガサゴソと落ち葉を踏む音がした。私はその時、作業プロット内の斜面上部にいたのであるが、ちょうど自分の体幅より太い木の側で作業をしていた。音はその木の向こう側からしたので、そっと顔を出して目を凝らしていると、確かに何か動いているのが見える。しかも動く影は1つではない。そしてそれはどんどん近づい来て、私の設置していた半径15mの円形プロット内部にまで入ってきた。この時点で、どう考えても私とその動く生物との距離は30m未満である。そしてそこまで近づいてくると、薄暗い林内でもさすがに判別が可能である。その動く生物は、3頭のニホンイノシシであった。しかもこれが結構なサイズで、私の見積りではそれぞれ80kg、80kg、60kgという構成である。

 確かに、調査プロットに入った時点で「なんか獣道が通ってるなぁ~」とは思っていたのであるが、まさか作業中に目の届く範囲内に現れるとは思ってもみなかったので大変驚いた。しかも私は携帯ラジオを鳴らしており (勿論スピーカー)、直前にやっていた作業も結構音の出るものだったので、よくこれに気づかず近くにやってきたものだと思ってしまう。

 やって来た3頭のうち、少なくとも2頭は私から20m以内に近づいてきたが、どうやら目的地へ移動中というよりは、採餌をしにきたようである。獣道を外れ斜面を上下しながらフガフガと何か探しているようだ。この場所は比較的ミミズが多く生息しているようで、私も作業中に太いミミズを何匹も見ていたので、もしかすると落ち葉をどけながらミミズを探しているのかも知れない。

 私は写真を採ろうと慌ててカメラを起動させたのであるが、以前「DSC-WX10が壊れそう | Mizukama Blog」で書いたように、持っていたコンデジの起動は安定せず、しかも起動してもズームすると落ちるという状態であったためなかなか撮影ができない。仕方ないのでiPod touchで代用することにしたのであるが、これは元々光学ズームができないのでなかなかイノシシと分かるような写真が撮れず。最終的には動画撮影に切り替えたのであるが、動画撮影開始から10秒も経たないうちに今度はイノシシの方がやっと私の存在を感知したらしく、ピギーッ!と鳴きながら元来た道をダッシュで逃げて行ってしまった。一応、何かが林内で動いていると分かる動画は撮れたが、当然満足のいくものではない。野性のイノシシを自然な状態で観察する機会に恵まれたのは僥倖であったが、やはりちゃんとした写真が撮れなかったのは残念であった。

 ところが、イノシシを撮影する機会はまたすぐに訪れた。なんと翌朝、同じ場所にまたイノシシがやってきたのである。朝の8時前後であったが、私が調査プロットに入った直後に1匹の♂が昨日とは反対側から現れた。大きさは60kg程で、ゆっくりと移動しながら採餌している。私は昨日の続きで同じく身を隠せるほどの太さがある木の側にいたため、イノシシと木を挟んで反対側になるよう身を低くしたまま移動しつつ、カメラ (昨晩のうちに整備済み)を起動させ、今度は何枚も撮影することに成功した。最大で15m位までは近づいてきたと思う。DSC-WX10はズームするとすぐに油絵化してしまうので美麗な写真とは言えないが、それでもイノシシかどうかも定かでない昨日の写真とは違い、今度ははっきりイノシシであると分かるものを撮影できた (近日中にArtCreatureに掲載予定)。最後はイノシシと目が合ってしまい気づかれて逃げられたが、今回はダッシュで逃げるというよりは、スタコラッサッサぐらいの感じで去って行った。

 どちらも時間にすると5分から10分程度であったが、それでも自然状態のイノシシを観察できたのは非常に興奮した。狩猟をしていてもイノシシを見るのは基本的に罠にかかった状態なので、歩いているところや餌を探しているところはなかなか観察できないのだ。最終的にはもちろん気付かれてしまうわけだが、それでもイノシシのように臆病な動物が15mや20mといった距離まで近づいてきてくれたということは、私自身がその環境で”自然”な存在となっていたと言えるのではないだろうか。この種の体験は今回に限ったことではなく、手の届く距離に小鳥が舞い降りてきたり、トンボが頭にとまったりするのも同じである。とにもかくにも、やはりその環境の中で腰を下ろすなり寝転ぶなりしてしばらく静止するということが大事なのだと思う。

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