嘘つきは泥棒の始まり

 先日、私は天草下島の国道266号を車で走っていた。この道は天草上島の南側海岸沿いを通って熊本市まで続く道であるが、下島においては海沿いではなく島の内部を南西から北東にかけて貫いている。片道一車線で主要な交差点付近には右左折用レーンが設けられているというごくごく普通な道である。本渡に近い辺りには大型の商業施設も立ち並び便利のよい場所なので、天草に行くと頻繁に通る道である。

 この国道266号から右折して別の道へ入ろうとしたとき、日曜昼の14時前頃であったが、私が右折レーンで右折待ちをしていると、対向車線をパトカーが走ってきて、私の横を通り過ぎて行った。別にサイレンを鳴らしている訳でもなく、それだけなら至って普通の出来事であった。ただ、私が天草に来たのはこれが7回目であったのだが、天草でパトカーが走っているのを観たのはこれが初めてだったので、珍しいと感じただけだった。

 ところが、私が右折してしばらく走っていると、なんと後ろからパトカーが来たではないか。先ほども書いたように、天草にはそれほど多くのパトカーが走っているとは考えにくいので、直前にすれ違ったパトカーに違いない。だとすると、一度Uターンしてこちらの道に入ってきたことなる。私は色々と考えたが、シートベルトも着用しているし、スピードも制限+10km/hの50km/h程度で走っているだけで、追いかけられる理由は見つからない。車はレンタカーなので考えにくいことではあるが、指示器に不備でもあるのだろうかなどと考えていると、「前の車、停まりなさい」と拡声器で言われ、道の脇に停車させられることになった。

 まず運転免許証と車検証を見せるよう指示され、これは車を運転していた以上、義務なので大人しく従った。レンタカーなので車検証は当然であるが、私の免許にも問題はない。なぜ止められたのかが分からなかったので、私は2人いた警察官の片方に、なぜ止められたのかと質問した。するとその警察官は、「交通安全指導を行っていて、あなたの車は少しスピードが出ていた」と言うではないか。私は口には出さなかったが、「嘘だ!」と思った。なぜなら、私の車が最初にパトカーとすれ違った際、私の車は右折待ちで停止していたのである。その後、パトカーの追走を受けた際も、言いがかりを付けられるようなスピードは出していない。

 続いて警察官は、車内の捜索をしたいと言い出した。これは通常、任意の捜査であって、私にはそれを許可する義務はない。どうやら「交通安全指導」というのは嘘っぱちで、これが目的だったようである。私は2度、「約束の時間が迫っているので」と拒否する態度を示したが、警察官は、「そうですかそれじゃまたの機会に」などと言うはずもなく、引き下がらない。私も本当に急いでいなければ、頑として車内の捜索を拒否するところであるが、それをやると余計に時間がかかるというのは明白なので、仕方なく車内にあった刃物を見せた。私の持っていたシースナイフは刃渡りが12cm程度あり、余裕で銃刀法にひっかかる。しかし手元には、刃物を所持するのに正当な理由があることを証明する書類があったので、その書類を警察官にも見せ、問題ないと納得していた頂いた。その警察官らは、私が刃物を所持するのに正当な理由を持っていると確認すると、私が自主的に提出したナイフ以外、何ら車内を捜索しようとはしなかった。後部座席にはザックが置かれていたし、怪しげなダンボール箱 (これには野外調査で採集したサンプルが入っていた。もちろん違法ではない)もあり、ガラス越しにそれらの存在は確認できたはずなのだが、一切調べようとはしなかった。

 結局15分程度で開放され、「約束の時間」にも何とかギリギリ間に合ったわけであるが、どうにもモヤモヤするのは、1)私の運転する車をUターンしてまで追いかけてきたが、その理由が警察官の主張するスピード超過とは思えない、2)形式だけの免許証と車検証の確認を終えるとすぐに車内の捜索を求めてきた、3)ナイフの所持および正当な所持理由を確認すると車内の捜索をせずあっさり引き上げた、という3つの理由である。これらから導き出される推論としては、私の運転していたのと見た目が似ている車か、あるいは私の車を狙って、職務質問を仕掛けてきた、ということである。前者の場合、つまり私以外の誰かが似た車を使って犯罪を犯していたとすれば、これはもうどうしようもない。しかし悲しいかな、後者の場合もあり得なくはないのである。警察が私の運転していた車 (あるいは私自身)をマークしていたかもしれない理由として考えうるのは、私が山道の脇に駐車していた車 (途中で何度か動かしていたが、明け方から日没まで置いていた)を不審な車両として誰かが通報したか、あるいは私が刃物を持ち歩いているか実際に使用しているのを誰かに見られて通報された、というケースである。”持ち歩いている”といっても、商店や公衆浴場へ持ち込んだわけではない。実際に山中で使用した以外は、せいぜい近くにあるキャンプ場のトイレを使用する際に腰に付けたままにしていただけである。この程度で通報されたら、たまったものではないが、絶対にあり得ないとも言い切れない。

 急いでさえいなければ、警察官にも警察手帳の提示を求めた上で、なぜ私の車を停止させたのか問い詰めたいところであったが、それができなかったのは残念である。そのためにこの記事も推測を多く挿んで書かなければならなかった。もし私の推測が正しく、実際には「交通安全指導」以外の理由があって職務質問をしてきたのであれば、あの警察官にはその理由をはっきり教えてもらいたかった。別に「最初すれ違った時に見たおまえの人相が怪しかったからだ」でも構わない。それが事実、あるいは私を納得させるのに十分なほど事実っぽければ。それを納得できない理由で押してこられると、私のような人間は「バカにされている!」と感じてイライラしてしまうのである。

最近観た映画

・「勝利への脱出」 Escape to Victory 1981
 面白かった。Wikipedia情報によると、ストーリーのモデルとなった史実とは結末を大分変更してあるようだが、これはこれで楽しめる。第二次世界大戦時のドイツにおける敵国捕虜の扱いがこの映画と同様だとすれば興味深い。

・「ガメラ 大怪獣空中決戦」 1995
 ガメラが亀に似た怪獣だということは知っていたが、映画を観たことが無かったので、BSプレミアムで平成三部作が放送されたのを観た。この1作目を観て、私は初めてガメラが飛行可能であるということを知り、衝撃を受けた。あとは鳥類学者の長峰真弓が、小保方晴子さんに見えて仕方なかった。

・「ガメラ2 レギオン襲来」 1996
 観終えてからWikipediaの記述を読んで、養老孟司が出演していたことに驚いた。解剖学で東大教授という肩書を持っている人物が、レギオンの死体を解剖する獣医学部の教授を演じているというのは凄い。出現した怪獣の呼称は聖書に登場する悪霊に由来することが説明されるが、聖書のレギオンは豚の群れに入るので、昆虫っぽい本作のレギオンとはあまり類似性がない。

・「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」 1999
 すごい美少女がいる!と思ってクレジットを観たら、前田愛さんという方だった。演じている比良坂綾奈という役はあまり好印象でなかったが、とにかく可愛い。

・「俺たちに明日はない」 Bonnie and Clyde 1967
 酷い映画だ。こんなものを”傑作”などと評しているようでは、人間性が疑われても仕方ない。確かに面白いと言える点はあるのだが、不特定多数の人に観せて良い映画ではなく、BSとは言えテレビ放送したのが相応しいとは思えない。私は観ていて気分が悪くなった。決して楽しい気分になる映画ではない。

認めはしない

 最近、世の中では何でもかんでも、許容しようという動きがあります。特に道徳的なことについていえば、同性愛、結婚関係外の性行為、などです。そういった行為を行っていない人の中にも、同性愛者や不倫を行っている人を、寛容に扱う傾向が見られます。しかし私としては、自分が重大な悪であると思っていることを行い続けている人と、仲良くするなどということは到底考えられないことです。

私は、
・タバコその他の薬物中毒に陥っている人
・結婚関係外の性行為を習慣的に行っている人
・同性間の性行為を習慣的に行っている人
・お金を正しく扱えない人
とは友達にならないことに決めています。

 私は自分の近しい人全てについて、行動を逐一観察しているわけではないので、中には私がそれと気づかずに、私が重大な悪であると考える行為を習慣的に行っている人がいるかも知れませんが、もし私がそれに気づいたら、その人とは最低限の付き合いだけに留めるよう、態度を変えます。

 私は何も、タバコを吸っている人や同性愛者を見つけたら、石を投げつけると言っているわけではありません。もし学校や職場にそういう人が居たとしても、仕事としての最低限の付き合いはします。その人が何か不利益を被るようにしたいとも願っていません。しかしそれでも、自分が重大な悪行だと認識している行為を習わしにしている人と、仲良くしたいとは思わないですし、周りから見て仲が良いと思われることも、耐え難いのです。

 そして私は、私が悪だと思うことを過去に習慣としていた人だとしても、現在その人がその行いを止め、また同じことを繰り返したいという願いと抗っているなら、その人に対して何の悪感情も抱かず、親しく接するつもりです。

アニメ「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」を観て

 NHKで再放送されたのを観たが面白かった。

 私は自分の食べ方が正しいとは思っていないし、多くの場合、唯一の正しい食べ方があるとも思っていない。提供者から食べ方を指定されたらそれに従うが、1人で食べているときは勝手にやる。主人公の二郎は面白いが、実に面倒くさいやつであった。

 本当にどうでもいいが、各話で取り上げられた料理での私の食べ方は以下の通り。

「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」
端から順番に切って食べる。流れ出た黄身は野菜かパンで拭き取って食べる。

「とんかつのキャベツ いつ食べる?」
とんかつを食べ終わってから食べる。ソースをかけオカズとして米とともに食べる。米が残っていない場合はソースをかけずに食べる。

「レーのルー どうかける? 」
半がけ。粘度の低いカレーを食べることが多いので、紅海現象はあまり問題にならない。

「ライス どうやって食べる?」
右手に持ち替えたフォークで食べる。肉を切るときは左フォーク右ナイフにする。

「みかんの皮 どうやって剥く? 」
皮が1つになるように剥く。剥いた皮はすぐにゴミ箱に入れるので、重ねたりはしない。

「納豆 ご飯にいつかける?」
まぜてすぐに全てかける。茶碗を汚すことにあまり抵抗はない。

「ちらし寿司にワサビ醤油かける?」
わさびをそれぞれのネタに載せてから、醤油を回しがけする。

「ショートケーキの苺 いつ食べる?」
最初に食べる。

推理力

 私の祖父は愛知県に住んでいて、私は両親と共に年に2,3度そこを訪れる。和菓子の好きな私は、祖父の家に行く度に愛知県の銘菓を買って帰る。電車で行った場合は、名古屋駅で両口屋の詰合を買うことが多い。ここの”旅まくら”という菓子は実に美味いのだ。父の運転する車に乗って愛知へ行った場合は、この両口屋に立ち寄れないので、スーパーの銘菓コーナーでも手に入りやすい”ういろう”を購入する。愛知県で”ういろう”を大々的に販売している会社は幾つかあるが、”大須ういろ”と”青柳ういろう”のどちらかを買うことが多い。今回は”青柳ういろう”にまつわる話しである。

 ”青柳ういろう”を販売する株式会社 青柳総本家はロゴマークにカエルの絵を使っている。私は商品パッケージに描かれたこのロゴマークに気づいた時、少し変だなと思った。基本的に食品のパッケージに両生類の絵というのはあまり好まれるものではない (他に思いつくのはキャベツ太郎ぐらいである)。しかも”ういろう”という商品にカエルという組み合わせは結構すごい。一口サイズの”ういろう”はサイズ的にモリアオガエルやトノサマガエルの中型個体と同じくらいだし、もちもちとした食感や表面の感触も、言われてみればカエルっぽいと言えなくもない。しかも抹茶味ともなれば色がもうあれなのである。こうしたことを考慮すると、このカエルのロゴマークには何かしらの深い意味があるのではなかろうか、と私は考えた。カエルという生物の気持ち悪さ (私は気持ち悪いと思わないが、世間一般における印象である)を上回るだけの何か、例えばこの会社の創業者がカエルに命を救われたとか、があると思ったのである。

 少し考えてまず気づいたのは、カエルに関してではなく、”青柳”という名前についてである。柳は英語で”willow”であって、これは”ういろう”に引っ掛けている可能性が考えられる。偶然だとしても、関係者がだれも気付いていないとは考えにくい。

 ”柳”に注目した私はさらに数分考えて気づいた。花札で雨の光の札には、柳とカエル (と小野道風)が描かれている! これは推測として非常に可能性が高いと私は思った。和菓子と花札というのは伝統性からしても適当な組み合わせである。この花札の絵の意味について私は知らなかったのであるが、私の家族は全員花札 (こいこい)ができるので、絵柄については私も頻繁に見ていて思い起こすことができたのである。

 さて、私の勝手な推測は当たっているのだろうか。答えは青柳総本家のWEBサイト、(青柳ういろう | 青柳総本家 公式サイト)、そして(青柳総本家:ういろうQ&A)で確認できる。