ガチャ
駿「ちわ~っす……って、朝比奈さんだけですか」
ボックスのドアを開けると、中央のテーブルで朝比奈さんが雑誌を読んでいた
瑠璃「あら駿くん。姫ちゃんもいるわよ♪ ほら」
朝比奈さんが視線を向けた方を見ると、確かに奥の方に山吹がいるのが見える。同時にリズミカルなタイプ音も聞こえた
カタカタ
大きなディスプレイが邪魔して表情は窺えないが、どうやらコンピュータを操作しているらしい
駿「よぉ、山吹」
一応改めて山吹にも挨拶をしておく
姫花「あぁ」
適当な返事が返って来た
ボックスの奥には桜が持ち込んだコンピュータが置かれおり、サークルのメンバーは各自アカウントを作りそれを利用している
とはいえ、下宿に帰れば皆、自分の端末を持っているのだ。ここでコンピュータを使う用事といったら、せいぜいブラウジングや音楽再生程度である
置いてあるのは随分と年代物のマシンだが、旧型のデスクトップでも、あればそれはそれで役に立つものだ
瑠璃「ねぇ駿くん、これ見て♪」
壁に立てかけてあった椅子を組み立てて座った俺に、朝比奈さんが話しかけてきた
朝比奈さんが両手で持ってこちらに向けてきているのは、iPad Airだ
瑠璃「土曜日にね、貴船に行ってムカシトンボの写真を撮って来たの♪」
一見、コンピュータのような電子機器は苦手そうに見える朝比奈さんだが、実は結構新しいデジモノを所有していたりする
朝比奈さんからiPad Airを受け取ってスワイプしながら数枚の写真を見せてもらうと、写っているのは確かにどれもトンボのようだ
駿「綺麗に撮れてますね……」
トンボのことはよく分からないが、写真はどれも写りが良い
もちろん撮影してから選別して、更にレタッチを施したのだろうが、そうであっても写真として出来のいい部類に入るだろう
瑠璃「自転車で貴船まで行くとカメラも重くて大変なんだけど、ちょうど羽化が始まってた頃だったのよ♪」
荷物持ちくらいいつでもやりますから、今度は俺を誘って下さいよ!
……と言いたいところではあるが、そういえば土曜日の俺は今日提出のレポートで忙しくしてたな
瑠璃「このムカシトンボって言うのはね、世界でも1科1属2種しか知られていないムカシトンボ亜目に属しててね」
瑠璃「生きている化石としても知られているのよ♪」
駿「そうなんですか……」
瑠璃「そうなの! で、ムカシトンボ亜目はね……」
ーーー
ガチャ
と、朝比奈さんのトンボ講義が白熱しそうになったところで、会長、それに桜が入ってきた
茜「おぅ、もうみんな揃ってるのか」
駿「こんにちは、会長」
桜「朝比奈さん、こんにちは」
瑠璃「こんにちは♪」
これでボックスには俺が来る前からいた2人、そして俺の後から来た2人、合計5人。サークルの全メンバーが揃ったことになる
ちなみに今日は月曜日。例会のある日だ
パッポー
ボックスの壁にかけてある鳩時計が1回だけ鳴る。時刻は18:30だ
茜「時間だな」
姫花「すみません、今行きます」
コンピュータで何かやっていた山吹も作業を中断し、皆が部屋の中央にあるテーブルの周りに座る
各自、座っているのはリクライニング機能付きの事務椅子、折りたたみのパイプ椅子、どこから拾って来たのか古いソファー、と様々だ
茜「さぁ、それじゃ例会を始めようか」
茜「……とはいえ特にすることは無いんだがな」
いきなりの脱力宣言だった
普通のサークルだと、今の時期は新歓に忙しい時期だが、あいにくこのサークルは普通でないので関係ない
新入生の勧誘活動といっても、ただWEBサイトを用意しているくらいである
チラシを作るとかアフターの奢りとか、そういう金のかかることはしないのが、昔からこのサークルの伝統らしい
そして最近、特に事件らしい事件も起こっていないから、このサークル本来の活動もはっきり言ってあまり活発とは言えない
姫花「そろそろ殺人事件とか起きませんかね」
山吹も同じことを考えていたようだ。しかし殺人とは物騒な
桜「そうだね、やっぱりここは連続殺人事件が起きないと」
駿「おいおい、そんなこと言うもんじゃないぞ」
姫花「なんだ駿、事件は嫌いか?」
姫花「うむ、まぁこの中で殺人事件が起こるとすれば、まず最初に死ぬのはお前だからな」
駿「え〜っ! そんな!!」
駿「何? 俺って恨まれたりしてるの!?」
姫花「お主、よもや忘れたとは言わせぬぞ」
姫花「その、なんだ……私の、女の子の大事なものを奪っておいて……」
駿「は、はい?」
なんじゃそりゃ。俺が山吹から何か奪った? とんと覚えが無いんだが……
というか今思ったんだが、二十歳超えて自分のこと女の子とか……いや、まだセーフか?
茜「なんだと! お、女の子の大事なものって言ったら、アレか!?」
桜「まさか、駿が姫ちゃんに無理矢理!?」
姫花「痛かったのだぞ、ブチッと。駿が……いきなりするから」
痛みを思い出したかのように目にうっすらと涙を浮かべて話す山吹。白々しい演技だな
まぁ今の台詞で俺の灰色の脳細胞は、山吹が何のことを言っているのか思い出したけどな
瑠璃「駿くんダメよ、そういうことはちゃんと順序を追ってしなくちゃ」
朝比奈さんまでそんなことを言い出してしまった。この辺りで誤解を解いておかねば
駿「それ、俺の鞄にお前の髪が引っかかって切れた話だろ。誤解を招くような言い方をするな」
姫花「チッ、面白く無い奴だな」
舌打ちしやがった
面白いからといって、俺に冤罪を被せられてはたまらない
それに、そのなんだ、……そういうのは大事にしなくちゃいけないものだしな
桜「なぁんだ。でも、髪の毛は大事なものだよね」
瑠璃「そうよ、男性には分からないかも知れないけど、姫ちゃんみたいに長い髪を維持するのって大変なんだから」
なるほど、考えてみれば、洗ったり乾かしたりが大変そうだ
ところで……
駿「ところで会長の考えてた『女の子の大事なもの』って何なんですか?」
茜「うっ……、そ、それは……」
会長は嘘がつけないからな。こういうツッコミをすると楽しい反応をする人だ
茜「それは……、し、しょ……」
駿「しょ?」
姫花「小説ももちろん大事ですよ。そうですよね、会長?」
チッ、余計な口を挟みやがって
茜「え? あ、あぁそうだな。うむ、小説は大事だぞ、人生で3番目くらいにはな」
ほら見ろ、せっかくのがパーだ。お前も人のこと面白く無い奴とか言えないからな
桜「まったく、駿はそういう意地悪なことするから、真っ先に殺されるとか言われるんだよ」
姫花「その通りだ、駿はもう少しデリカシーとか学んだ方が身の為だぞ」
身の為って……。やっぱり俺って最初に殺されるタイプ?
瑠璃「そんなことないわよ♪」
ここで口を挟んでくれたのは朝比奈さんだった
駿「朝比奈さん……」
やっぱりそうですよね、朝比奈さんなら俺のことそんな邪険にしたりしないですよね
瑠璃「駿くんはね、2番目とか3番目に殺されるのよ」
瑠璃「そう、犯人の動機やトリックを隠す、ミスディレクションのためだけにね♪」
駿「……」
むしろ酷かった。そんなの一番惨めな役どころじゃないか
茜「ところで、」
いくらやることが無いとはいえ、あまりに蛇行していた流れを会長がここでリセットする
茜「やることが無いとは言ったが、新年度に入ったから、そろそろ会誌のことを考えておきたい、というのはある」
茜「まぁ、記事自体を書く必要はまだないんだが、統一テーマくらいは早めに決めたいところだな」
会長が言った「会誌」というのは、我がサークルで年に1回発行しているものである
会誌に載せる内容には大きく分けると、ある一つの決まったテーマに沿って書かれる記事と各人が好き勝手に書く記事の2種類がある
統一テーマというのはそれらのうち前者についてのもので、自由奔放過ぎる会誌に一定の統一感を持たせるためのものである
駿「確かに、去年俺らが入った時はもうテーマとか決まってましたね」
俺たち2回生にとっては去年の会誌が初めてなわけだから、先輩方の言われるがままに書いた記憶しか無いが
茜「山吹、会誌に関して何かあるか?」
山吹は今年、我がサークルの編集委員である
姫花「はい、印刷所と連絡はつけてあります。今年分の日程等についてはメールで添付して会長に送っておいたはずですが」
茜「え? あぁ、そう言えばメールが届いていたな。スマン、ちゃんと見ていなかった」
姫花「いえ、……実は私も今日その紙を持って来てなくて。すみません」
山吹が忘れ物とは珍しい
瑠璃「でも別に今日絶対必要ってわけじゃないんでしょ?」
姫花「はい……。それに、ある程度なら覚えていますよ」
姫花「確か、出来るだけ7月末には原稿を入れて欲しいとか。ただし、最終締切は8月頭だったと思います」
茜「その辺りは去年とあまり変わらないだろうな」
姫花「えぇ。ただ、出力に使うマシンとソフトが変わったから、データ入稿の形式に関する注意点が変更になったとかなんとか」
姫花「そこまではきちんと記憶していませんね」
と、ここであまり喋っていなかった桜が口を挟んだ
桜「メールで送ったのなら、そこのコンピュータでも見れるんじゃないですか?」
そういって桜が指差したのは、部屋の奥に置いてあるコンピュータだ
確かに、あのコンピュータはインターネットにも繫がっているのだから、ブラウザ上で使えるメーラーなら閲覧が可能だ
桜「姫ちゃん、送ったメールの添付ファイル見れないの?」
姫花「私の方はダメだ。あのアドレスのはブラウザからだと見れない」
そういや、山吹のメールアドレスってドメイン名が見たこと無いやつだったな
GmailとかYahoo! メールでもなく、当たり前だが@niftyメールでもない
なお、山吹は携帯電話のメールアドレスというものを持っていない。iモードの料金を払いたくないのだろうか?
桜「会長の方は確か、Gmailですよね?」
桜が今度は会長に尋ねる。Gmailのアドレスで受け取っているのなら、Googleアカウントでログインするだけでメールをチェックできる
茜「あぁ」
茜「私は大学のアドレスとGmailしか使ってないからな。どっちでも大丈夫だ」
そういうと、会長は立ち上がって奥のコンピュータが置いてある方へと歩き出した
ーーー
さて、俺はここでとある定型文を記しておかなければならない
そう、推理モノでありがちなアレだ、アレ
……この時、俺たちはまだ知らなかった
……桜が先ほど言った言葉が、とある事件の発覚へと繫がっていたことを
なんてね
しかしまぁ、いつかは発覚する事件であったことは疑いようが無い