ポチポチ、カチャ
茜「あれ? おかしいな……」
コンピュータを起動させる音がしてしばらくした後、会長が呟いた
マウスやキーボードを操作する音がしていたが、コンピュータが動かなくなったのだろうか?
桜「どうかしましたか?」
コンピュータをここへ持って来た桜が、真っ先に会長に尋ねて席を立つ
俺も気になったので、立ち上がってコンピュータの方へと向かった
茜「うむ、なぜかログイン出来ない」
俺と桜が会長の背後に立ってディスプレイを覗いてみると、確かにOSのログイン画面のままである
ログイン画面にはユーザーの一覧が表示され、そこには俺も含めてこの場にいる全員の名前がある
会長は自分の名前を選択し、その後パスワードをポチポチと入力するのだが、何度やっても「パスワードが違います」と表示されてしまう
俺は桜から「人がPASSを入力する時は、打つところを見ないようにするのが礼儀だ」と教育(?)されているのでその通りにしているのだが、音は聞こえてしまう
キーを打つ音から判断すると、会長のパスワードというのは8文字だろうか?
確かに会長のようにタイピングが遅い、というか人差し指で押しているような人だと、入力するところを観察するだけでパスワードが分かってしまいそうだ、と思う
姫花「もしかして、パスワードを忘れてしまったとかですか?」
茜「いや、そんなはずは……無いと思う」
どこか不安そうではあるが、会長はその可能性を否定する
駿「パスワードを忘れていないとなると、パスワードが誰かの手によって変更されたということなんですかね?」
桜「まさか! それはつまり、この中に犯人がいると?」
姫花「外部からでないなら、そういうことになるだろうな」
不穏な気配を感じたのか、山吹も立ち上がって会話に加わった
駿「桜、外部からこのコンピュータに侵入されたという可能性は無いのか?」
桜「うーん、ネットワークに絶対的な安全というものは存在しないけど」
桜「ファイアーウォールの設定もしてたし、ウィルス対策ソフトもインストールしてた」
桜「おまけに、Wake-on-LANも出来ないはず」
桜「だから、外部からのハッキングという可能性はかなり低いと思う」
なるほど。良く分からない部分もあるが、外部からではなさそうだということは良く分かった
茜「ところで、ファイアーボールって何だ?」
会長が桜に向かって尋ねる。どうやら俺よりもっと前の部分から分かっていなかったようだ
桜「えっ? あぁえっと、ボールじゃなくて……」
しかしここで強引に答えたのは朝比奈さんだった
瑠璃「ファイアボールというのはね、2008年に放送されたディズニー製作のアニメよ♪」
やっぱりそうきたか。こういうネタは見逃さない人だな
桜「いや、ファイアボールじゃなくてファイアーウォールです。防火壁って意味……」
瑠璃「あなたは口を挟まないで!」
桜「ひぇっ!?」
どうやらネタを知らなかった桜は、豹変した朝比奈さんの口調にびっくりしてしまったようだ。可哀想に……
しかし、桜が言ったように外部からの線が薄いとなると、やはり犯人は内部にいるということになるのだろうか
姫花「ふむ、ということは……」
やはり山吹も俺と同じことを考えたのだろう
姫花「これは我々の活動に相応しい事件、だな」
静かに、しかしどこか嬉しそうに、山吹が宣言をした
ーーー
姫花「ではまず、最初に状況を整理したいと思います」
一旦皆が席に座り、部屋の中央にある机の回りに集まる
今回の議長役に決まったのは山吹だ
姫花「会長の証言によれば、サークルに置かれた共有のコンピュータにおいて、会長が自ら設定したパスワードでログインが出来なくなっている」
姫花「つまり、パスワードが知らないうちに変更されていた。そうですね?」
茜「うむ、そうだ」
姫花「では、最後にあのコンピュータを使って普通にログインできたのはいつですか?」
茜「先週の水曜だな」
山吹の質問に対し、会長は間髪入れずに答える。既に会長の頭の中でも必要な情報を整理し始めているのだろう
茜「その日ここに来たのは4限の間中ずっとだが、使った時間は短かったと思う」
茜「だが、出るまで誰もボックスには来なかったからな。私がここを出た16:30まではパスワードが変更されていなかったと考えていいだろう」
姫花「そうですか」
姫花「続いてですが、会長の設定したパスワードが憶測されやすいものだった、ということはありませんか?」
姫花「例えば、連番数字だったり、誕生日だったりなど」
瑠璃「パスワードって色々なサービスを使うとその数だけ設定することになるけど」
瑠璃「結構いい加減なものを設定する人が多いそうね」
桜「そうですね。何かの調査では、最もよく利用されていたパスワードは「123456」だったようですし」
桜「私が前に見たデータだと、TOP10のうち5,6個が数字の連番ですよ」
桜「他には「password」とか「iloveyou」とかも人気みたいですね」
茜「一応私のは、アルファベットと数字の組み合わせではあるな」
駿「それなら強度的には十分じゃないですか?」
駿「英単語を使っていたとしても、数字と組み合わせていれば辞書攻撃は避けられるし」
桜「まぁ普通の使用なら十分かなぁ」
瑠璃「ところで、辞書攻撃って、なんだか痛そうね♪」
姫花「……」
茜「あとそうだな、このコンピュータで設定していたパスワードは、ここでしか使っていないものだ」
姫花「ということは、パスワードが犯人に知られた理由も今のところ見当がつかないと……」
茜「そうだな」
姫花「分かりました」
姫花「ではこれまでに、自分のアカウントで誰かが操作しているような形跡を発見したことはありませんか?」
姫花「例えばデスクトップに知らないアイコンが増えていた、とかですが」
茜「……無いな。少なくとも私は気付かなかった」
流石に思い返すのに時間がかかったのか、少し間を置いてから会長は答えた
しかしまぁ、犯人が気付かれないように会長のアカウントでログインしようとしたのなら、そんな分かりやすい足跡は残さないだろう
ん? 待てよ。だったらなぜ犯人は……
瑠璃「姫ちゃん、もし犯人が会長のパスワードを知っていたのなら、なぜそれを変更する必要があったのかしら?」
俺よりも先に朝比奈さんがその疑問を提示した
そうなのだ。朝比奈さんの言う通り、犯人がパスワードを変更する理由が分からない
例えば、会長の/homeフォルダにある何かしらのファイルを開きたいと考える。その場合、会長のアカウントでログインできさえすればいい
何か犯人にとって不都合なファイルを消したい場合も同様だ
だから……
駿「あえてパスワードを変更して、侵入されたことを気付かせる必要はないですね」
瑠璃「えぇ、そうよ」
姫花「確かに、その点は不思議ですね」
茜「犯人は何らかの方法で私のパスワードを入手したのち、とある理由でパスワードを変更しなければならなかった、ということか?」
その、「とある理由」とは一体なんなのだろうか?
あえて会長に気付かせることで、慌てふためく様子を見て楽しむ為か?
いや、待てよ……
駿「もしかして、犯人の狙いはこれから会長が行おうとしていることにあるんじゃないですか?」
姫花「どういう意味だ?」
駿「ハリウッド映画だとよくあるじゃないですか! 例えば、電子ロックの金庫を破る為に、関係なさそうな事件を起こして停電させるとか」
駿「つまり犯人の目的は、パスワードが変更されたと気付いた会長が起こす行動にあるというわけだ!」
姫花「なるほど。駿、お前もなかなか気の利いた台詞が言えるじゃないか」
茜「では訊くが、今から私がしそうな、どの行動を犯人は必要としているのだ?」
姫花「それが問題ですね。駿、もったいぶらずにさっさと言え」
あ……ヤベ。そこまでは考えていなかった
駿「いや、すんません。そこまでは分からないです」
姫花「はぁ……」
姫花「やはり駿は駿だな。思いつきを口にするのが精一杯か」
酷い言われようだ
瑠璃「あら、でも悪くない意見だと思うわよ♪」
駿「朝比奈さん! ありがとうございます!」
瑠璃「例えば、あーちゃんはログインできないことに気付いて、ログイン画面で何度もパスワードを入力したわよね?」
茜「あぁそうだな」
瑠璃「もしここで、キーロガーが仕掛けられていたとしたら?」
茜「何だ? キーロガーって?」
駿「あぁそうか! なるほど」
駿「会長、キーロガーってのは、キーボードで押されたキーの履歴を記録するプログラムのことですよ」
駿「つまり、何のキーを打ったのか、逐一どこかのファイルに記録されるんです。不正アクセスなどで使用されるツールの一つですね」
瑠璃「つまり、犯人がその記録を後から見れば、今あーちゃんがキーを打った記録から、パスワードがすぐに分かってしまうというわけ」
茜「なるほど、それはたしかに悪用すれば色々できてしまいそうだな」
駿「もっと古典的でアナログな方法だと、何らかの細工をして、触ったキーが後から分かるようにする、なんて手もありますよね」
瑠璃「昔のスパイ映画とかに出てきそうな方法ね♪」
姫花「しかし、犯人は既にパスワードを知っているわけですよね」
姫花「そしてそれを変更したとなると、会長はログインできない。つまり、自身のアカウントパスワード以外を打つことは無い」
姫花「だとすれば、結局犯人が何をしたいのか、不明のままではありませんか?」
瑠璃「そうなのよねぇ……」
朝比奈さんもその点は分かっていたらしい
しかしまぁこれで、筋道が見えたと言えるかも知れない
まだ分からないのなら考えればいい。それがこの部の活動意義じゃないか
さぁ考えるんだ、俺!
なぜ犯人は会長のパスワードを変更したのか。そして今後の行動を狙っての犯行だとすれば、その動きとは何だ?