私のいる学部だと、卒論・修論発表会での1人当たりの持ち時間は15分で、私がこれまで口頭発表した3つの学会大会も15分であった。
この15分は、12分の発表時間と3分の質疑応答時間で構成されている。時間を知らせる鈴は10分、12分、15分の3回に分けて鳴らされることが多い。
休憩時間を挟まずに10人以上が連続して発表を行うこともあるので、この15分の持ち時間を厳守しないと後ろがどんどんずれて予定が狂うことになる。
卒論・修論発表の場合は、同じ専攻の学生が1つの会場で発表を行うのでまだよいが、複数の会場で平行して口頭発表が行われる学会大会の様な場だと、聴衆はプログラムを見ながら会場を移動し発表を聴くので、発表時間がずれると問題が生じる。
そのため、1人当たりの持ち時間15分というルールは概ね守られており、時間を過ぎているのに新たな質問を許す、というような光景はあまり見られない。
しかしながら、持ち時間15分の中の、発表時間12分という決まりは、卒論・修論発表会においても学会大会においても、あまりきちんと守られていない。つまり、12分を過ぎても演者が話し続け、質問時間が短縮されるか全く無い、という状況が頻繁に生じているのである。
卒論・修論発表会は、学士・修士の学位認定に関わる重要なイベントであるが、その評価基準には発表内容は勿論、質疑応答での受け答えも含まれている。にも関わらず、質疑応答を十分に行わず研究発表を終える学生が少なからずいるのである (私が4年ほど観察したところでは、半数以上が12分の発表時間を超過し、少なくとも10人に1人は、1つの質問に答えるのに十分な時間も残さない)。
時間を超過する発表者は、研究内容があまりに多量、あるいは複雑すぎるために、決まった時間内に発表できないのであろうか。多くの場合、そうとは思えない。一般的な発表スライドは、
背景 → 目的 → 材料と方法 → 結果 → 考察 → まとめ → (謝辞)
のような構成になっているが、発表時間が押している場合、「まとめ」や「謝辞」を省略する (表示するだけにして読み上げない)等の方法で、30秒から1分程度の時間を容易に調整できる (この程度の調整で決まった時間に収められないとなると、発表内容と発表練習に問題がある)。にも関わらず、12分の鈴を聴いても、「まとめ」や「謝辞」をゆっくり読み上げ続ける発表者の何と多いことか! これは故意に時間を超過しているとしか思えないのである。
しかも悪いことに、発表内容にツッコミどころの多い発表者ほど、時間を超過する傾向があるように感じられる。つまり、研究に何らかの問題点があって、質問された場合に適当な答えをすることが難しそうな発表者が、発表時間を延長することで質問時間を短縮あるいは無くそうとしているのではないか、と疑ってしまうのだ。15分の持ち時間は司会者によって半ば強制的に守られる (時間を過ぎた質問を受け付けない、中断させる等)が、12分の発表時間を過ぎても何も言われない、という慣習の不備を突いた、卑怯な行為である。
理屈としては、どうしても発表者に質問したければ発表会の後でできるし、そもそも学士や修士の認定で揉めることは殆ど無く、指導教官がOKを出して、卒業・修士論文を提出し、発表会に出さえすれば、普通は卒業認定が行われるので、発表会で質疑応答がきちんと行われるかどうかは大した問題でない、と考える人も多いだろう。しかしそんなことを言っていては、発表のレベルは下がる一方であるし、きちんと研究を行い発表の準備を行った学生が正しい評価を受けられない。いい加減な研究をしていい加減な発表をした学生は、公の場 (といっても学内だが)できちんと辱めを受けて然るべきであると私は思う。
ちなみに、同じ学部の同じ学科で発表会を行うと言っても、聴衆である教員や研究員、それに発表者より学年が上の院生などが、全ての発表に対して内容を理解し問題点の有無を判断できるかというと、そんなことは全く無く、専門外の内容については、ちんぷんかんぷんという場合も少なくない。だからこそ、専門分野が近い人 (発表者の指導教官でない)が、その場で発表者に質問をし、それに発表者がどう答えるのかを見ることが、その発表の良し悪しを判断する上で必要なのである。
私はこれまで、卒論、修論、それに学会発表を5回やっているが、時間を大きく超過した記憶は無く、毎回2つか3つの質問に受け答えしている。なお、一番最近の学会発表では、手元の時計で11分58秒という絶妙な時間で発表を終えたのであるが、私より前の発表者が、スライドの投影で手間取って時間がずれ込んでいたため、持ち時間自体を削られて質問時間が短縮された。これは私の責任ではない。
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