変猫1-6巻を読んで

 ここ1ヶ月程の間に、さがら総 著の「変態王子と笑わない猫」を1巻から6巻まで読んだ。私はこの作品のアニメをBDで購入していたのだが、原作小説は約1年前に古本屋で1-5巻を手に入れたものの全く読んでいなかったのである。

 文章が読みやすく、全体的な話の流れも良かったので、テンポ良く読むことが出来た。私が注目したのは、文章中に聖書に関係する文言が度々登場することである。以下に私が気づいた箇所を記す。

1巻
P72 “ローマのものはローマに、笑わない猫のことは猫のもとに。”
P75 “ゴルゴタの丘の求道者みたいに、…”
P150 “…、モーゼよろしく自由自在に道を拓く。”

2巻
P22 “「…。先輩をお兄ちゃんとなどと呼ぶくらいならハルマゲドンを実行するです」”
P241 “「…。ノアの箱舟に乗りそこねたシマウマの家族みたいよ……」”
P243 “「…、箱舟に乗れなかったみんなでアダムとイブになって…」”
P257 “…、裏切り者のユダを見つめている。”

3巻
P49 “「…、死んで三日後に甦ってもういっぺん死ね」”
P103 “「…。人はパンのみにて生くるにあらず、…」”
P107 “古の時代に君臨せしシバの女王のごとく、…”
P187 “人類の原罪の育まれた楽園で、生まれたばかりのイブと出会ったアダムは、…”

5巻
P202 “「… 汝、右の頬をぶたれたら左の頬まで裂けるがいい!」”

 これらの記述では、多くの場合必ずしも聖書中の人物や表現を引き合いに出す意味は無いわけで、そのため作者には聖書に関する教養が多少なりともあり、なおかつ関心を持っていることが伺われる。しかしながら気になるのは、1-3巻では各巻に複数回出てきたこの聖書に関係する表現が、4,6巻には見つけられなかった (「教会」「シスター」など聖書とは直接関係ないが、キリスト教に関わる単語や場面は登場する)ことである。

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