森博嗣の「恋恋蓮歩の演習 A sea of deceits」を読んだ。”deceits”には詐欺とか策略といった意味がある。
読み終えた感想として第一に挙がるのが「悔しい」という感情である。とはいえ、完全に騙されたというわけではない。これでもある程度、推理小説を読んできた人間なので、最後の最後に犯人の名前が出てくるまで気付かなかった、ということではないのだ。ただ、どうにも「気付かされた感」がするのである。少々ややこしい話になるが、推理小説を書いている側の人間は、おそらく次のようなことを気にしているはずだ。
・話に登場するトリックなどは、読者にとって理解が難しすぎはしないか
・読者が推理し、自力で答えに到達するのに十分な情報が記されているか
推理小説というのは、作者と読者の間の駆け引きみたいな部分があるので、それがフェアな状態であるかは、読んでいる側も常に気になるところだ。私が考える理想的な推理モノというのは、読者が読み終えて「あぁ~っ!確かにそういえばそうだった。なんで気付かなかったんだコンチクショー!」となる感じである。要するに、十分な(あるいは十分と感じられる)情報が与えられていたにも関わらず、謎が解けない。が、一旦答えが提示されると疑問が氷解する、という仕上がりである。こういったストーリーを書くのは難しいし、読者のレベルによるので決まった基準があるというわけでもない。
今回読んだ「恋恋蓮歩の演習 A sea of deceits」では、私が気付くに至った情報が提示されている箇所が微妙なラインなのである。「こんな謎、最初から分かったよ」と言えるほど初期の段階で個々の謎に答えを見出せていた訳でもないし、かといって「全然分からなかった」というわけでもない。言うなれば、作者が「ほれ、このキーワード出してやるから、そろそろ分かれよ」という具合で書き加えた表現で、「気付かされた」感じがするのである。これは悔しい。
ところで、Vシリーズもこの「恋恋蓮歩の演習 A sea of deceits」で6冊目であるが、私はこのシリーズの登場人物だと祖父江七夏が好きである。本作でもp.328(講談社文庫)の「よっしゃ、いくぜ」の台詞でニヤニヤしてしまった。彼女はシリーズの主人公である紅子の元夫である林と愛人関係で子供までできている、というそれだけ聞いたら道徳的にどうしようもない人物であるが、一応作中では刑事である。ちなみに、おそらくこの祖父江という名字は、愛知県の旧 祖父江町に由来するものだと思うのだが、私は植生調査のバイトを三重県・愛知県・岐阜県の県境で行っていた際、たまたまこの地名を目にし、感慨深く思ったものである。それだけの話。
Post a Comment