食べ残しと昔の嫌な思い出

 「伊集院光のてれび」第6回を観て私は衝撃を受けた。

 「若い女性はこれほどまでに食べ残しをするのか!」

 番組の内容は、私が尊敬するラジオパーソナリティーの伊集院光が、芸人やタレントの後輩 (女性)に愛情を込めた弁当を手作りし、それと知らずに与えられた後輩達がそれをどう評価しながら食べ、あるいは食べないのかを実験する、というものであった。あらかじめ後輩達の嫌いな食材を調べ、それを弁当のメニューに盛り込んだというのは意地が悪い (褒め言葉)気もするが、結果は多くの後輩が全体の半分前後を食べ残すというものであり、あまりに残しすぎている気がした。タレントの中にはグラビアなどで活動している人もいたので、体型維持のために仕方ないかとも思ったが、あまり裕福でないはずの女性芸人でも食べ残しをした人は多く、若い女性と食事をする機会の少ない私の感覚とは大きく外れたものであった。

 私の両親は食料の生産・加工業に就いているわけではないが、食事に関しては割と厳しかったので、私が幼かった頃に、嫌いな食べ物や量の多いものを泣きながら食べさせられた想い出がある (そのくせ父親は出された料理を不味いと言って食べないことがある)。しかしそのお陰で今の私は、出された食事を全て食べることが難なくできる大人になることができた。もちろん、食べ物に関する好き嫌いというのは、生まれ育った地域や家庭の事情で形成されてしまうものであるし、特定の味覚 (苦味など)や食べ慣れていない食品を避けるというのは、生物学的に意味のある行動と言えなくもない。それに食品アレルギーや過去の経験からくるトラウマなどで本当に「生理的に無理」な場合というのも存在するだろう。しかしそれでも、自分に割り当てられた食い物をなるべく食べきる、という意識を強く持っていれば、彼女らのような残し方 (量・種類含め)はしないであろう。

 一応私にも、一回の食事として常識的な量を食いきれない可能性のある (=苦手な)食べ物は存在するが、今のところ私がそうだと気づいているのは、「激辛」なものだけである。私が食べることに困難を覚えるレベルの激辛食品は、少なくとも日本においてそれほど一般的でないので、食事に招かれた場合でも個別にかつ大量に割り振られるということは殆どない。

 好き嫌いとは少し外れるが、食べ残しという点で思い出したエピソードがある。私が小学校高学年の時、毎回の給食は私を含む「よく食べる子」によって基本的に食べ尽くされていた。メニューの人気具合でクラス全体での消費量に差が出るし、給食のおばちゃんの采配によって供給量にもある程度のバラツキがあるので、日によっては少し残ったりすることもあったが、逆にとても不足感 (つまり腹が満たされていない!)のある日もあった。そんな日は、おかわりを切望する有志が空になった食缶を持って低学年の教室へ行き、余った料理をもらってくる、というのが恒例であった。当然ながら6,7歳の1年生と11,12歳の6年生では食べる量が大きく異なるので、各教室に配られる段階でも低学年には一人当りの量が少なめに供給されているのであるが、それでも低学年の教室では余りが発生しやすかったのである。年度が変わってすぐのある日、その日のメニューは忘れたが、私がいた教室では料理があっというまに無くなってしまったので、私ともう一人が空になった容器を持って1年生の教室に向かった。ところが、これまでと同様に1年生の教室の扉を開けて、自分たちのクラス名と余った食品を貰いにきた旨を告げると、その組の担任であった若い女性教諭 (その年度に赴任した)が怒りだし、多量にあった余りの一部を貰うこともできず追い返されてしまったのである。その女性教諭の主張は「児童は皆、同じ給食費を払っているのに、他のクラスに割り当てられた給食を貰いにくるとは何事だ!」ということであった。「余っているのだから別にいいじゃないか」とは当時も思ったが、今改めて考えると、一律の給食費を支払っているということに対しては「だったら学年毎に供給量が違うのはどうなんだ」とか「そもそも児童によって食べる量が違うのはどうなんだ」という反論も考えつく。というか、あの時のことを想い出すと、あの女性教諭は平等性うんぬんよりも、自分の管理下にあるものに他者が介入してくるという事態そのものに不快感を抱いたのではないかと思えてならない。とにかくこの出来事によって、食品残渣が余計に生成されたのだ。なかなかに忘れがたい嫌な想い出である。

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