モノの価値

 少し前の話。知人が新型のスマートフォンを持っていたので、私が「あっ、それ◯◯ですか」と話しかけたところ、その知人の息子さん (中学生)が、「うちは貧乏なのにパパとママがこないだ (そのスマートフォンを)買ったんだ」と、自分の父親 (つまり私が話しかけた知人)にも聞こえるように言った。それを聞いて色々な考えが頭を過ったが、私はすぐに、「モノの価値は、どう使うかで決まるんだよ。値段が高くても、凄く役に立つなら、それだけ価値があるんだ」と、その息子さんに (もちろん知人にも聞こえるように)言った。

 手前味噌ながら、今思い返しても中々に良い切り返しであった。

 確かにその知人はあまり裕福でない。ハイエンドでなくても新型のスマートフォンに2台切り替えとなると、少なくとも5,6万円、あるいは10万円近い出費になったことだろう。普段、自分の家庭が裕福でないことを理由に、何かしらの制限を経験しているであろうその息子さんからすれば、両親がスマートフォンを買ったことには少し不満があったのかも知れない。だが私は知っていた。いや、当然その息子さんも知っていたのではあるが、実はその知人の奥さんは病気のため入院を控えていたのだ。しかも比較的長期に渡っての治療が必要となることが予想されていた。そんな中で、おそらくその知人は、妻との、そして妻と子供たちのコミュニケーションをより良い方法で保つために、スマートフォンの購入を決意しただろう。

 だから私は何度でも言うが、モノの価値は、本体の仕様や値段によって決まるのではなく (それが間接的に影響することは勿論あるが)、それを使う人の使い方によって決まるのである。

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